2022年07月08日

R・レヴィンソン&W・リンクの世界(52)《小説編⑫》レヴィンソン&リンク劇場 突然の奈落 リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクの短編集、その2

R・レヴィンソン&W・リンクの世界(52)《小説編⑫》レヴィンソン&リンク劇場 突然の奈落 リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクの短編集、その2

レヴィンソン&リンク劇場
突然の奈落

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リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク
後藤安彦 他◎訳

 
 皆さま、こんにちは。
 めとろんです。

 かの有名な「刑事コロンボ」の原作者、ウィリアム・リンク&リチャード・レヴィンソンの作品を、ぼくの感想をまじえてご紹介する「W・リンク&R・レヴィンソンの世界」

 今回は、昨年9月に続き出版された、レヴィンソン&リンク若き日の短編を網羅する、『皮肉な終幕』に続く第二弾、『レヴィンソン&リンク劇場 突然の奈落』(扶桑社)について、ぼくの感想をまじえて、ご紹介させて頂きます。

「少年期の終わり Richard Levinson&William Link's Boyhood's End ~リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク 初期短編 概観~」を併録しています。



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ミセス・ケンプが見ていた(川副智子 訳)
 短編『Suddenly, there was Mrs. Kemp』
 (Alfred Hitchcock’s Mystery Magazine 1959年4月号掲載、ヒッチコックマガジン 1960年1月号 「女が見ていた」高田宏・訳 テッド・レイトン名義)

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(あらすじ)
 1週間前、妻を殺したウォルト・ハニスが、アパートメントの上階に住むミセス・ケンプから、部屋に招かれる。彼女は、自殺として処理された、妻の葬儀に参加したものの、彼にはそれほど付き合いはなく、戸惑いながら彼女のもとを訪れた。
 そこで、ミセス・ケンプは見たと言う。
 ハニスが窓辺で妻ローズと揉み合い、押して落としたことを…!

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(MEMO)
 若きリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクの、才気溢れる一作。
 この短編発表と同じ年の1月、彼らの初の、製作されたTVドラマ脚本となる、General motors presents「Face to Remember」が放映。
 夏には、ロサンゼルスに移住し、フォー・スター・テレヴィジョンに就職、本格的な脚本家修行に入ることになる彼らは、劇作家、そして小説家の夢も抑え難く、目下絶賛売り出し中。なかなかに短編小説を多作な時期であった。
 同様のモティーフとしては、その後のヒッチコック・アワー『身の上相談』『落とし穴』(原作:ロバート・トゥーイ )を想起させる、ピーピング・トム絡みの犯罪を扱っています。やはり殺人を冒し告発される側が主人公の、サスペンス編。
 (ネタバレ反転)そして何と、処女作『口笛吹いて働こう』を思わせるオチに、新旧の要素が混在した、彼らの作品のエッセンスを象徴するかのような作品となっています。
 ネタとして、似ている以前の作品があるせいで、この短編(しかも商業誌初出作)はテッド・レイトンとしたのではないか…と、推測してみるのでした。



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生き残り作戦(仁木めぐみ 訳)
 短編『Operation Staying-Alive』
 (Alfred Hitchcock’s Mystery Magazine 1959年7月号掲載)

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(あらすじ)
  大隊で、「安全第一さん」と綽名される、ベニー・ケラー二等軍曹は、雪の夜半、門限ぎりぎりで兵舎に帰ってきた、陰気なコブ二等兵が気になっていた。その後、門のすぐ外で、ドイツ人のタクシー運転手が殺され、金を奪われた件で、CIDの捜査官が乗り込んでくるに及び、疑惑は大きく膨らみつつあった。そして、車両基地で頻発するガソリン盗難の件で、ケラーは大尉からチェックに向かうよう命令される。
 そこには、警備でコブ二等兵がいる。
 弾を込めた、カービン銃を持って…。

(MEMO)
  個人的に、本短編集で1番のお気に入りである。軍兵舎での殺人疑惑を巡って、「生き残る」ことを第一に考える平凡な男が、妄想とも現実ともつかない恐怖に晒されることになる。コブ二等兵の行動に影響される、ケラーの心理描写から、ジリジリと高まるサスペンス。それは、兵舎内の人間関係や生活のリアルな描写と無縁ではない。
 あくまで想像だが、ウィリアム・リンクが徴兵され、1956年から2年間、従軍した経験が、ここに生かされているのではないか、と推測する。
 それは、キャンベル大尉に象徴される、上官の腐敗や、厭戦的な雰囲気も含まれ、それは後の、『ザ・ガン/運命の銃弾』における"アンチ・銃"の主張や、『兵士スロヴィクの銃殺』にも繋がる「気分」ではないか、と思えるのである。



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鳥の巣百ドル(上條ひろみ 訳)
 短編『The Hundred-Dollar Bird's Nest』
(Alfred Hitchcock’s Mystery Magazine1959年8月号、ヒッチコックマガジン 1960/10 No.10 掲載 「百ドルの巣」三木洋 訳、テッド・レイトン名義)

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(あらすじ)
 モウブレイ医師は、妻に先立たれた、しがない老人。贅沢に、余生を楽しむ預金もない。下宿のポーチで庭を眺めていると、コマドリが一羽、紙片を咥えて巣に持ち帰ろうとしていた。見ると、百ドル札!
 彼はそれを掴み、鳥がどうやら四階に住む偏屈な老人、シャンツの部屋から咥えてきたものと突き止める。
 下宿の大家、パーソンズ夫人の戸棚から鍵束を取り、シャンツがいない隙に部屋に忍び込む。どうやら、彼は大金を溜め込んでいるらしい。
 医師の心の中に、遂に殺意が芽生え始める…。

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(MEMO)
 同短編集所収の、『The End of an Era(歴史の一区切り)』に趣の似た、貧しい老人による、起死回生の一発大勝負。
 若き日の、レヴィンソン&リンクの作品には、そんな「若年寄り」とも言うべき、老境に達した主人公の心情に寄り添う作品が、幾つか見られる。しかも、だいたいの場合に於いて、切実な彼らの願いは成就せず、酷い目に遭うのである。(笑)
 また、日常のなかで芽生えた細やかな野望が、徐々に膨らんでいき、遂に決定的なカタストロフに至る…その、意外な結末も、人生へのアイロニカルな視線を含んで、ドライでありながら、何処か物哀しいのである。




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最後のギャンブル(中井京子 訳)
 短編『One for the Road』
(Escapade 1959年8月号 掲載)

(あらすじ)
 主人公は、年老いた富豪である「わたし」。分不相応な若き妻エイプリルと、ラスヴェガスでバカンスを楽しんでいた。
 しかし、砂漠にあるカジノ〈パニョルズ・クラブ〉に妻がプレイしたがるようになり、ブラックジャックの若きディーラー、トムと浮気していると気付いてしまう。「わたし」は、トムを車に乗せて、走り始める。エイプリルをめぐり、対向車のナンバープレートの最初の数字を使っての「賭け」は始まった…!


(MEMO)
 うら若き美女と、恋に敗れる年老いた男、舞台はラスヴェガス…。
 この絵に描いたような構図が、ハードボイルド小説のファンでもあったレヴィンソン&リンクの嗜好だったのでありましょう。一人称で進む筆致も、その雰囲気を盛り上げる。
 その後の、ヒッチコック・アワー『ある殺人計画』の冒頭部分や、ジョン・カサヴェテスに妻を奪われる富豪に主人公を移したらそのままとも思える『独り舞台』の描写に、受け継がれてゆく「雛型」とも思える。
 
 「わたし」とトムが争ったギャンブルの勝敗の行方を、「永遠の謎」として残す余韻。「若年寄り」レヴィンソン&リンクの面目躍如な一編である。




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記憶力ゲーム(小堀さとみ 訳)
 短編『Memory Game』
(Alfred Hitchcock's Mystery Magazine 1959年9月号掲載、テッド・レイトン名義)

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氏名不詳、住所不詳、身元不詳(高橋知子 訳)
 短編『No Name, Address, Identity』
(Escapade1961年7月号、 ヒッチコックマガジン1961/11 No.28 「記憶喪失」青柳尚之・訳 掲載)





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ちょっとした事故(木村二郎 訳)
 短編『Small Accident』
(The University of Kansas Review No.28 1961 掲載)

(あらすじ)
 「ぼく」は、体育の授業のあと、片方の靴をクラスメイトに奪われ、投げ合いになる。ジョエルに靴が渡ったとき、怒った「ぼく」は彼のシャツを裂き、拳を振り下ろすと、彼は足が絡まり前に倒れ、ドアの窓ガラスに右手を突っ込み、出血を伴う怪我をしてしまう。救急車で運ばれるジョエルに、戸惑う「ぼく」だったが…。

(MEMO)
 今回、この短編小説を読むにあたり、「ミステリ」と思い込んで読んだ為に、どんな怖ろしい結末が待っているのかと、戦々恐々しながら読んだのですが…杞憂だった。(笑)少年たちの描写や会話がとても瑞々しく、彼らの不安定に揺れ動く心理や交流の姿が、鮮やかに胸に迫る。
 その後のTVムーヴィー『That Certain Summer』『The Storyteller』、また『プロトタイプ』等に於いて描かれる、少年たちの描写は、もともとの彼らの資質のなかに含まれた、関心の対象であったと、再認識するのである。




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歴史の一区切り(後藤安彦 訳)
 短編『The End of an Era』
(Alfred Hitchcock's Mystery Magazine1962年1月号、 ヒッチコックマガジン1962/ 3 No.32 「一区切り」掲載)

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最高の水族館(後藤安彦 訳)
 短編『Top-Flight Aquarium』
(Alfred Hitchcock’s Mystery Magazine 1962年4月号、ヒッチコックマガジン6月号 No.35 「アパートの水族館」掲載)

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ロビーにいた男(川副智子 訳)
 短編『The Man in the Lobby』
(Alfred Hitchcock’s Mystery Magazine1966年 6月号、ミステリマガジン2000年4月号 No.529 掲載)









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少年期の終わり

Richard Levinson&William Link's
Boyhood's End


~リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク
 初期短編 概観~



 …さて、彼らの短編である。

 こうして、彼らが残した多くの短編を、読んでみて感じるのは、その作品の端々に、彼らの人生のパズルを構成する要素の一つひとつが、その断片として垣間見られる、という実感である。
 まずは、登場した短編群を、時系列に並置してみたい。
 ここで、読む方にお願いしたいのは、彼らと同じ年齢の時に、自分が何をしていたかを、ちょっと思い起して頂きたい、ということである。

1954 ペンシルバニア大学での学生時代
    リンク20歳、レヴィンソン19歳
1954 口笛吹いて働こう EQMM

・リンクの兵役終了後、NYへ

1959 リンク26歳、レヴィンソン25歳
年頭、初の脚本担当ドラマ放映。夏LAに移住。
フォー・スター・テレヴィジョンに就職、本格的な脚本家修行

1959/1 子どもの戯れ AHMM
1959/4 夢で殺しましょう AHMM
1959/7 生き残り作戦 AHMM
1959/8 強盗/強盗/強盗 AHMM
1959/8 最後のギャンブル Escapade
1959/9 ある寒い冬の日に AHMM
1959/10 幽霊の物語 Escapade
1959/11 ジョーン・クラブ Playboy


【 テッド・レイトン名義 】
1959/4 ミセス・ケンプが見ていた AHMM
1959/8 鳥の巣百ドル AHMM
1959/9 記憶力ゲーム AHMM


1960 リンク27歳、レヴィンソン26歳
1960/3 愛しい死体 AHMM

※7月『Enough Rope』放映

1960/8 ジェシカって誰? AHMM

1961 リンク28歳、レヴィンソン27歳
※半年をNYで舞台劇執筆、半年をLAで脚本執筆に。
     舞台劇『殺人処方箋』執筆

1961/7 氏名不詳、住所不詳、身元不詳 AHMM
1961 秋 ちょっとした事故 The University of Kansas Review No.28

1962 リンク29歳、レヴィンソン28歳
※舞台劇『殺人処方箋』トライアウト(1月~5月下旬まで

1962/1 歴史の一区切り AHMM
1962/4 最高の水族館 AHMM
※トライアウトは、2人にとって、不本意な形で閉幕。ブロードウェイに辿り着かず。
1962/7 最後の台詞 AHMM

1966 リンク33歳、レヴィンソン32歳
※様々なTVドラマの脚本をこなす日々。
次の年、『マニックス』が大ヒットする。
1966/6 ロビーにいた男 AHMM


 まず、これらの短編のなかで、テッド・レイトン名義の短編は3つ。
 以前にも記した通り、彼らの別名テッド・レイトンは、ウィリアム・セオドア(=テディ)・リンクJr.と、リチャード・レイトン・レヴィンソンの、双方のミドル・ネームを合体させた名前であった。

 Theodore=Teddy+Leighton

 洗礼名や家系に関する事が多いミドル・ネームを、納得出来ない経緯を辿った作品のペンネームに引用したのは、「(自分たちが)成長する前の、未熟な作品」である、という意味だったのではないか…と、以前、記した。
 同時に、これも推測ではあるが、これらの短編の着想(もしかしたら、プロトタイプの執筆も)が、少年~大学時代におけるアイデアから来ているのではないか…という推測も、あながち荒唐無稽ではないであろう。

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 …やはり、2人の短編執筆としては、1959年に集中していることがわかる。

 年頭に、初の脚本担当ドラマGeneral motors presents「Face to Remember」が放映され、勢いに乗った彼らは、ここで一気に売り出そうと攻勢をかけたのであろう。
 時に、リンク26歳、レヴィンソン25歳。
 親に対しても、世間に対しても、そろそろ何らかの結果が必要になる時期でもあった。

 そして、次の年1960年、彼らは、後に自らの人生をも大きく変えることになる、「鉱脈」を発見する。

 短編「愛しい死体」から、夏の『Enough Rope』放映、そして1961年の舞台劇『殺人処方箋』執筆へと至る、彼らの人生における分水嶺とも言うべき、大きな奔流である。

 それは、翌1962年の同作のトライアウトが、彼らにとって不本意のうちに幕を閉じる、という悲劇に終わってしまう。
 この直後に書かれたであろう短編『最後の台詞』は、その頃の彼らの心情を仮託したかのような、陰鬱な物語であった。

 そして、演劇界から離れた彼らは、遂にTVムーヴィー(ドラマ)の世界に腰を落ち着けて、起死回生を図ったのだと思われる。
 しかし、ここで一敗地に塗れた彼らの、その後の人生において、脚本を書き、あるいは製作することになる映像作品にも、その影は多く残されていくことになるのである。
 
 ここで、その断片群を列記してみる。

・少年時代…「子どもの戯れ」、「ちょっとした事故」
『That Certain Summer』『The Storyteller』、また『プロトタイプ』等に登場する、少々、内向的な少年たちの面影に、どこか重なるような感慨を覚える。

・ウィリアム・リンクの従軍時代…「生き残り作戦」
⇒この短編における、リアルな兵舎や軍内の人間関係の描写は、彼の経験抜きには書き得なかったのではなかろうか。『CHAIN OF COMMAND』から、『兵士スロヴィクの銃殺』へと至る要素であろう。

・精神分析学への傾倒…「夢で殺しましょう」、「ジェシカって誰?」、「氏名不詳、住所不詳、身元不詳」
・殺人を犯す人間心理への探求…「口笛吹いて働こう」「夢で殺しましょう」「愛しい死体」、「ミセス・ケンプが見ていた」、「鳥の巣百ドル」、「記憶力ゲーム」ほか
『殺人処方箋』『殺しの演出者』『ギルティ・コンサイエンス』等、彼らの作品に、通底音のように響き続ける、フロイディズムの影響が、既にこの初期短編から垣間見られる事実が、大変に興味深い点である。
 人間の犯罪心理を描写する際の、極めてロジカルでドライな感触も、このあたりに起因するような気がする。


・ハードボイルドへの憧憬…「最後のギャンブル」、「歴史の一区切り」
⇒彼らが本格ミステリとともに愛した、ハードボイルド作品としては、その後、『マニックス』『Tenafly』『エラリー・クイーン』におけるクイーン警視パートの描写が挙げられる。
 「最後のギャンブル」に関しては、ヒッチコック・アワーの『独り舞台』に直接つながるようなプロットであり、脚本家として様々なTVシリーズのエピソードを数多く執筆するにあたり、少年~大学時代や、初期短編のアイデアを再使用したり、また捻ったりという作業は日常的に行われていたのではないかと思われる。


・早く老いたい(成熟したい)という願望…「鳥の巣百ドル」、「最後のギャンブル」
⇒そもそも、彼らの処女出版短編『口笛吹いて働こう』からして、人生に疲れた壮年が主人公であり、その後も、「老成」したキャラクターを描くことが多かった。早熟な彼らならではの、「早く成熟したい」「老成したい」欲求を感じる。

・年寄と若手のバディ…「ある寒い冬の日に」
⇒ヒッチコック・アワー『身の上相談』や、ずっと先の『Blacke’s Magic』など、彼らはコンビ探偵を忌避しているわけではない。『刑事コロンボ』における、頑ななまでの「相棒不在」は、その作品のコンセプトが要求する条件に、あくまで敬虔に準じたに過ぎないのであって、そのあたりの「厳格さ」(「頑固さ」と言い換えても良い)が、良くも悪くも、彼らの持ち味であり、作家としての矜持ではないかと感じる。

・メタフィクションへの接近…「夢で殺しましょう」
⇒ヒッチコック・アワー『ある殺人計画』『殺しのリハーサル』に顕著なメタフィクショナルな仕掛けを使用する、果敢な実験精神も、過去にも何度か言及したことのある、少年時代の「アメリカ探偵作家クラブ事件」の時代から抱いていたものである。この短編にも、その嗜好は表出しているが、どこか茶目っ気を感じさせるのが、彼ららしい。

 …才能に溢れた若き彼らの、あの出逢いの日から続く逡巡と憧憬の道程は、舞台劇『殺人処方箋』での挫折で、ひとつの結末を迎えた。

 劇作家への夢。小説家への夢。
 …彼らは、その自身の「核」を、短いこれらの物語にコンパクトに封じ込めて密やかに発表した後、部屋の奥の片隅に、そっとしまったのである。

 しかし、その種子は、長い時を経て着実に芽をのばし、育っていったのだと思わずにはいられない。
 その「夢」は、TVドラマ及びTVムーヴィーの脚本・製作の煩雑な現実のなかで、粘り強く醸造され、最終的に、その華を開いていくことになるのである。
 ひとまず、脚本家の道に身を置き、とりあえず前へと、その歩を進めた彼ら。
 
 ーこれは、レヴィンソン&リンクの「少年期」と、「その終わり」を象徴するような、作品群であったのである。

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(了)



 それでは、また。


※資料提供…町田暁雄
※この稿を執筆するにあたり、内容の影響を避ける為に、『レヴィンソン&リンク劇場 突然の奈落』の「《解説》二杯目もアメリカン~レヴィンソン&リンクの短編世界」(小山正)は読んでいません。

R・レヴィンソン&W・リンクの世界(50)
《小説編⑩》
レヴィンソン&リンク劇場 
皮肉な終幕 
~リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクの短編集 その1~





posted by めとろん at 16:38| 千葉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | R・レヴィンソン&W・リンクの世界 | 更新情報をチェックする
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