ミステリとしての、
『大河ドラマ 新選組!』
(改訂版)


『大河ドラマ 鎌倉殿の13人』スタート記念
~風太郎的歴史観と、
歴史の「虚無」を見つめる視線~
皆さま、こんにちは。
めとろんです。
ぼくは、熱烈な三谷幸喜さんのファンであり、『古畑任三郎』はもちろん全エピソードを観ていますし、たくさん好きな作品もあります。
でも、この『大河ドラマ 新選組!』への思い入れは、格別なものがあるのです。
この記事のオリジナルは、2006年2月17日、ブログ開設の僅か2日後にアップされました。
今回は、齢五十を越えた今、16年前の自分と語り合うような心持ちで、あらためて、このドラマについて、少々語ってみたいと思います。
僕は、もともと幕末という時代が大好きでした。それは上川隆也氏主演のドラマスペシャル『竜馬がゆく』(’97)をレンタル・ビデオで鑑賞したことから始まったのです。
このドラマ、脚本の担当が、かの長坂秀佳氏であり、やはり氏からの影響は絶大なものがあると、あらためて痛感しました。感動したぼくは、武田鉄矢原作・小山ゆう作画『おーい!竜馬』を手に取ったと記憶します。

それから、まずは司馬遼太郎作品を読み漁り、五稜郭、水戸藩、長州藩、会津藩…と、長期休暇のたびに、幕末行脚を繰り広げることになったのでした。
そして、かつての大河ドラマ『花神』、『翔ぶが如く』などを、夢中で鑑賞しました。そういう意味で言えば、土佐藩→長州藩→薩摩藩と、思い入れある勢力が移りゆく中で、いまだ佐幕派とは相いれない(笑)人間であったのです。

個人的には、そんな状況の中、この『大河ドラマ 新選組!』はスタート。
「変わった大河ドラマ」と、世間でバッシングされていた放映初期から、人一倍愛し、夢中になっていきました。毎週、欠かさず録画チェックしてかならず観る番組など、ついぞ無かったぼくなのですが、とにかく1年間、ハマリまくりました。

こんなに惹かれるのは何故なのだろうか・・・と考えてみて、様々な要素があるのはもちろん。
泣ける人間ドラマ、青春群像劇としても、秀逸だと思います。後半などは滂沱の涙(30代後半の男が・・・)状態になっていました。

第一話を観て、先ず思ったのは、世間一般と同じで、近藤勇と坂本竜馬と桂小五郎が友人なんて、ありえないのではないか、ということ。このことは、歴史好きの方からいまだに「あの大河は史実的にどうか…」などと、苦言を呈されることも多いのですが、あの同じ時期に3人が江戸に存在していたのは事実なので、友人になったとしても、「可能性として」ありえなくはないのです。
この論理、この仕掛けを観て、「オンヤオヤ」と思いながら、連想したのは天才・山田風太郎の「明治もの」と呼ばれる傑作群でありました。

その代表作のひとつ、『警視庁草紙』の中では、”同じ時期に同じ場所にいた”ことを根拠として、”夏目漱石と樋口一葉の幼年期の出会い”を描く。そしてさまざまな歴史上の有名人が”ありえたかも知れない”邂逅と別れを繰り返すのです。

この仕掛けを一種の「装置」として、”あったかも知れない”歴史が、いわゆる歴史の”史実”と呼ばれるものを反転的にあぶりだす。
風太郎は、「史実」を巧妙なミスディレクションとして使いながら、大胆に文学(人間のドラマ)を構築し、神棚に飾られた「歴史」と呼ばれるものを止揚(アウフヘーベン)する。
そんな、風太郎の天才たる所以ともいうべき絶妙な手法…これを、連想したのです。
「新選組」好き、「幕末・歴史」好きほど「周知の事実」がミスディレクションになり、有名なセリフ、表面的な事実はあらたな意味を与えられ、ドラマの中で息を吹き返す。(竜馬暗殺における、有名な「こなくそ!」などは卑近な例)それが、「意外な結末(事実)」として、歴史のうねりの中で、人の生き死にと有機的に結びつく・・・。

今や、2022年『鎌倉殿の13人』で三本目の大河ドラマ脚本を執筆される、三谷幸喜氏と山田風太郎氏を結びつけることに何の躊躇もありませんが、これは考えてみれば、三谷氏も大ファンであるという、(故)みなもと太郎先生『風雲児たち』のスタンスでもあるのでした。僕も、コミックトム連載時からの、『風雲児たち』ファンであるだけに、三谷氏のその歴史に立ち向かう姿勢に、共感すること大なのです。
幕末のテロ対策部隊・新選組は、現代的に言えば「特捜班CI-5」「特別狙撃隊SWAT」のような、公安警察もしくは突入部隊的な、警察ドラマの側面もあり、そんな観点からこの組織を描いた作品も、今後、期待したいものです。

……[16年経過(笑)]......
さて、時を経て2022年。
2016年『真田丸』を経て、本年、『鎌倉殿の13人』で、三度の大河ドラマ脚本に挑戦される、三谷幸喜氏。ファンとして、感慨深いものがありました。

そんなわけで、『大河ドラマ 新選組!』スペシャル(総集編)の前・中・後編が、NHK総合にて1月2日(日)深夜、一挙放送される快挙が実現したのでした。

思い入れの深いこの作品、当然の如く、DVD-BOXを購入してあるものの、やはり放送されるとなると、観てしまうのがファン心理というもの。(笑)
そこで思いだすのが、本放送当時の、この作品を取り巻く情勢です。
前年の、主要キャスト発表から波乱が巻き起こり、現在以上にコメディ作家としての印象が強かった三谷幸喜氏が脚本を担当するのも去ることながら、「(アイドルである)香取慎吾さんが、近藤勇役を演じる」ことに対する戸惑いと批判は、新選組ファンをはじめ、現在では想像もつかないほど、喧しかったのです。
まあ、「近藤勇」と言えば、三船敏郎氏をはじめ、年嵩の重鎮俳優が演じるイメージがありましたから、無理も無かったと言えるかも知れません。

放映中も、シリアスなエピソードと、コメディ色の強いエピソードとのギャップに、評価も毀誉褒貶しました。特に、山南の切腹が描かれ評価の高い第33話「友の死」の次に、ドタバタ喜劇の第34話「寺田屋大騒動」を据える野心的な試みに、視聴者全員が驚いた…そのあたりは、仕方のない部分もあったでしょうか。(笑)
また、SNS普及以前の時期ながら、熱狂的なファンが毎週感想をアップ。批判を横目に、ファンが皆で必死になり、応援していた状況があったと記憶しています。
当時のファンの焦燥感と悔しさは、ここに記し、残しておきたいと思います。
SNSが普及し、放送時には実況しながら感想が飛び交い、公式アカウントからは独自の情報が提供される…そんな周辺の状況には隔世の感がありますが、当時、比較的若い世代のファンたちが、ネットを通じて、作品を底辺で支えていた、先駆的な試みであったと思えるのです。
現在、当時の喧騒の雑音無しでクリアに観てみると、特に批判の烈しかった初期の頃、香取慎吾さんの朴訥とした、田舎道場の若先生然とした演技も、後々の変化を考えると、繊細な演出構成が、強く感じられます。
また、坂本龍馬たちと知り合いであったという設定も、時代の推移の中で、とにかく政治的・思想的な対立が複雑怪奇を極め、各勢力がせめぎ合っていた歴史背景を判りやすく描きだす意味に於いても、大変効果的な、絶妙な脚色であったと、理解できるのです。

そして特に後半、「滅びに向かう新選組」の描写は、他の三谷作品の系譜を鑑みても、もしかしたら作家的本質を突く重要なものかも知れないと思うのでした。
それは、前半の終盤における、芹沢鴨という「滅びゆく者」へのペシミスティックな視線にも顕著な、コメディ作家だからこそなのか、「虚無」を見詰める「眼」、俯瞰で歴史を捉える視点。
そこに、山田風太郎の「列外」の陣列に連なる、血統の連なりへの断絶と渇望を、感じるのです。
そして、その根底には人生への孤独感とペシミズムがあり…でも、一周回って「笑い」がそれを救う、いや、救いたいという、そんな「祈り」と「願い」を、垣間見ました。

今回の『 鎌倉殿の13人』に対しても、日に日に、期待を増しています。
三谷幸喜氏も父となり、子育ても経験され…そこで、何か根底は変わるのか。
「シャイで孤独な人」が、絶えぬ渇望とコンプレックスと憎しみを、歴史上の人物たちに仮託して自我を開放し、比較的ストレートな情動で、ダイナミックに物語を突き動かす。
そんなイメージで、氏の大河ドラマを楽しんでいます。
そして今回は、三谷氏による、藤本有紀脚本『平清盛』への挑戦であるとの視点も交えて、一年間、大河ドラマにお付き合いさせて頂こうと、期待を胸に、待ち構えております。
それは、所詮『平清盛』は平家側の物語であり、源氏側の反転攻勢は、終盤の後景として、削ぎ落とされて必要最小限に、描かれるのみであったからです。そのあたりを補完し、次の時代へのブリッジとなる、歴史の「余白」を埋める新たな試みである…という意味であり、かつ、両者とも、同じく『ゴッドファーザー』を指標としていることからも、「挑戦」と考えています。

『新選組!』の特に後半は、「列外の者」への共感と誇りが謳いあげられていて圧巻でありましたし、『真田丸』では、戸惑いながらも歴史の中心に身を置かざるを得なかった男の生き様を描きだした三谷氏は、自らの歴史をもこのドラマに込めているのではないか…と、勝手に思っています。
対して、『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時は、家族、そして国家の為に、非情にならざるを得ない男。少年から大人に、ならざるを得ない男。
これこそ、興味津々であります。

笑いは、歴史と生の「虚無」と、通じている。
『大河ドラマ 鎌倉殿の13人』を、刮目して待ちたい!…と、思います。

4年振りの、大雪の日に。
それでは、また。