The
December
Country



~12月は黄昏の国~
…年の瀬、
そして新しい年に寄せて…
皆さまこんにちは。
めとろんです。
年の瀬を、いかが過ごされていますか?
うちに来て、ちょうど1年のトイプードル、まるが部屋を走り回っています。(笑)
今回は、時の経過なるものへの、愛おしさと哀しみを胸に、この日をともに過ごしたいと思います。…そう、こんな時は、レイ・ブラッドベリ(1920-2012)の作品をどうぞ。
The Screaming Woman(’86)
レイ・ブラッドベリ劇場 Ray Bradbury Theater
(第1シーズン 第5話 演出:ブルース・ピットマン)
原作:泣き叫ぶ女の人


原作は、かのレイ・ブラッドベリ御大による、20ページに満たない短編「泣き叫ぶ女の人」。(創元推理文庫「スは宇宙のス」S is for Space所収)

まずは、原作短編に、ほぼ忠実な「レイ・ブラッドベリ劇場」Ray Bradbury Theater におけるヴァージョン('86)であります。
少女ヘザー・リアリー(ドリュー・バリモア)は、空き地の地中から、助けを呼ぶ女性の声が聴こえてくるのに気づき、家族に訴えるが、父親(ロジャー・ダン)も、母親(ジャネット・レイン・グリーン)も取り合ってくれない。彼女は、友だちディッピー(イアン・ハース)と、近隣で行方不明になっている人がいないか、一軒一軒訪ねてまわるが…。

これはブラッドベリが関わったTVシリーズで、本人(と他1名)による脚色であり、言わば「本家本元」ですので、最も原作に則っていることは、当然と言えば当然なのですが。(笑)
主演である、少女時代のドリュー・バリモアさんが可憐で、幼いながらも、毅然とした視線が素晴らしい。
The Screaming Woman('72)
埋められた女
原作:泣き叫ぶ女の人


本作品は、ロス・マクドナルド原作『動く標的』Harper(’66)で有名な、ジャック・スマイト監督のTVムーヴィーです。

上記のヴァージョンと、同じ原作であるにも関わらず、マーウィン・ジェラード(『マニックス』、『ミセス・コロンボ』等、TVシリーズで活躍)による脚色によって、大きく印象が変わっています。
主演は、『暗い鏡』(’46)で当ブログでもお馴染み、オリヴィア・デ・ハヴィランドで、精神病院を退院したばかりの初老の婦人、ローラ・ワイナントを演じます。

帰宅した初日、彼女は馬車で散歩中に、地面の下から聴こえる声に気づき、埋められた女性を救う為に周囲に助けを求めます。
強欲な息子、ハワード(チャールズ・ロビンソン)と策略家の妻キャロライン(ロレイン・スティーブンス)、怠惰な巡査部長(ロニー・チャップマン)ほか、誰も信じてくれない袋小路の状況に追い込まれ…いつ、地中の女性が呼吸を止めるかも知れない…、ジリジリと高まるサスペンスは、さすがスマイト監督です。
ローラの弁護士ジョージ(ジョゼフ・コットン)と主治医であるエイモス(ウォルター・ピジョン)は辛うじて理解を示し、それでも手を尽くす彼女は、知らず町に潜む犯人に近づいていった…!

原作の短編小説では、幼い少女が主人公であり、平易な文章が却って強烈なサスペンスを醸すのですが、映像化にあたり、なぜかデ・ハヴィランドにぴったりの老婦人キャラクターに変更された模様なのです。
彼女が誰にも信じられない姿が、不条理な恐怖をジワジワと醸し、ラジオドラマの傑作『私は殺される』Sorry, Wrong Number を彷彿とさせます。
原作とは、「埋められた女性」と「信じてもらえない主人公」の設定以外は全く狙いを変更した脚色ですが、活動屋スマイト監督らしい、ケレンのある作品であり、特にラストのショックはなかなかのインパクトで、思わずおおっと仰け反ります。(笑)
名優ジョゼフ・コットン(少ししか出ませんが)、ウォルター・ピジョン(同)の起用も贅沢な、TVムーヴィーの佳品です。
The Illustrated Man('69)
いれずみの男


ジャック・スマイト監督は、同じくレイ・ブラッドベリの原作で、『いれずみの男』The Illustrated Man('69)も手掛けています。
映画『追跡』('62)などの名カメラマン、フィリップ・ラスロップが作り出す絵は悪くないですし、近未来エピソードの、いかにも生活感のないSFインテリアも、現在となっては新鮮。ジェリー・ゴールドスミスの劇伴も素晴らしい。

原作の「草原」「長雨」「今夜限り世界は」が、プロローグとエピローグに挟まれていながら、オムニバスと呼べるほど各エピソードに関連付けが乏しく、中軸を成す、「刺青の男」と未来から来た女のラブ・ストーリーが少々ぼやけた印象。主演のロッド・スタイガーは力演ながら、ブラッドベリの詩情とは、少々相入れない雰囲気を醸し出しています。(笑)

スマイト監督は、『動く標的』(’66)、そして『シャレード』(’63)のピーター・ストーンも脚本に参加した『脱走大作戦』(’68)、『カレードマン大胆不敵』(’66)、『殺しの接吻』(’68)あたりの'60年代が、最も輝いていた様な気がします。
その後の『刑事コロンボ/ホリスター将軍のコレクション』(’71)などTVムーヴィーを経て、『エアポート'75』(’74)でも活躍されましたが、全盛期よりは少々、勢いが劣ると思わせるのです。
そんな、ノッていた時期のスマイトでも、ブラッドベリの原作は手に余った様です。
プロデューサーでもある、ハワード・B・クライチェックの脚本は、抽象的なイメージの断片をパズルの如く組み合わせ、徐々に全体のテーマの輪郭を浮かび上がらせていく狙いだと思いますが、スマイト監督としては、もっとストレートな情動で物語を突き動かしたかったのではないか…そんな、欲求不満を感じてしまうのです。

ですから、短い原作で、言ってみれば単純なサスペンスでグイグイ押す『埋められた女』の方が、彼の資質には、より合っていたような気がするのです。
The Beast from 20,000 Fathoms(’53)
原子怪獣現わる
監督:ユージーン・ルーリー
原作:霧笛 Fog Horn(『太陽の黄金の林檎』所収)


北極圏における核実験の結果、怪獣が解凍され、北米大陸の東海岸に移動。
唯一の目撃者であるトム・ネスビット教授(ポール・クリスチャン)は、古生物学者サーグッド・エルソン教授(セシル・ケラウェイ)にもその「リドサウルス」の存在を、信じてもらえない。しかし、エルソンがその生物を探すために海底探査をしている最中に丸呑みされてしまう。リドサウルスは海から現れ、マンハッタン島を破壊していく…。
ネスビット教授は、この怪獣を止めようとある計画を遂行する!

レイ・ハリーハウゼンの、ストップモーション・アニメーションによる恐竜の動きがさすが流麗な、怪獣映画の古典。後半の、リドザウルスによるニューヨーク蹂躙および、軍隊との戦闘シーンが素晴らしく、特に終盤の遊園地での攻防戦に手に汗握る。
一方、原作では、岬の灯台の霧笛に呼び寄せられる、太古の恐竜の寂寞と、灯台で3年間、見つめてきた主人公マックダンの人生の孤独がシンクロするのですが、映画では、辛うじて灯台が破壊されるシークエンスが描かれるに留まりました。
進化の営みのなかで、「喪われしものたち」への、哀切に満ちた鎮魂歌(レクイエム)…この映画版には、そんな、原作短編が湛えた詩情は微塵もないけれど、古代からの置き土産が行き場を失い、彷徨いながら破壊を続けた挙句、人類に倒され屠られる姿…には、やはりある種の「哀しみ」が漂うのかもしれない…などと、考えるのでした。

Fahrenheit 451('66)
華氏451
監督:フランソワ・トリュフォー


最後に、フランソワ・トリュフォー監督による『華氏451』Fahrenheit 451('66)を、ご紹介して、この稿を終わりたい。
テレビ・ラジオによる管理された情報の提供の他は、書物の所有が禁止された社会が舞台です。不必要な情報を与え世情不安を煽る、「書物」を所有した者は逮捕され、所有者の密告が横行する、静かな「恐怖社会」となった近未来。
模範的な「ファイアマン」(書物を焼却する焚書士)である主人公モンターグ(オスカー・ウェルナー)は、妻と似た女性クラリス(ジュリー・クリスティ)と出会い、本に興味を持つようになり、危険な領域へと足を踏み入れていく…。
音楽を、トリュフォー監督が敬愛する、アルフレッド・ヒッチコック監督とのコラボレーションで知られたバーナード・ハーマンが担当し、その映像と音楽の疾走感は素晴らしく、管理社会を描いたSFサスペンスとしても秀逸な作品です。

映画で、自宅に「秘密図書館」を持つことが発覚し、主人公たちファイアマンの前で火が付いたマッチを書物に落とし自死を遂げる、老女のシーンの凄絶な美しさに、魅入られます。ちょっと、同年の映画『将軍たちの夜』('66)の、タンツ将軍によるワルシャワ掃討のシーンを連想させる、禍々しさでありました。

この印象深い女優さんは、ビー・デュフェル(1914-1974)、北アイルランド、ベルファスト生れで、イギリスのTVシリーズにゲスト出演が多く、他に『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』('75)等に出演。他には、目立った出演作品は見当たらないのですが、このあたりにも、英国演劇の層の厚さが感じられます。

さて、ここでフランソワ・トリュフォー著『ある映画の物語』(山田宏一・訳 草思社)の、レイ・ブラッドベリの寄稿から引用したい。この書は、トリュフォーがブラッドベリ原作『華氏451度』を撮影するにあたって記した日記を、出版したものです。

主演である、オスカー・ウェルナー(1922-1984)との確執も、赤裸々に語られた一書です。彼と言えば、フランソワ・トリュフォー監督『突然炎のごとく』('62)ですが、もちろん『刑事コロンボ/ビデオテープの証言』('75)の冷酷な犯人、ハロルド・ヴァン・ウィック役が印象的でした。

「わたしは映画を見た。そして、心から愛した。」
「だから、わたしは、彼から送られてきた脚本も読まないことにした。ロンドンへ撮影を見に来てほしいと招待もされたが、行かなかった。私は正しかったと思う。
自分の子供を無事にこの世に取り上げてもらうために監督を絶対的に信頼することができないのなら、最初から彼に産婆の役をゆだねるべきではないのである。」
「かつて、わたしは自分の小説の目的をこう書いたことがあるー異常なものが正常に見え、そして正常なものが異常に見えるように描いてみせることだ、と。」
「まさにトリュフォーの狂気とわたしの狂気が見事にまじり合ったという確信を持って、わたしは試写室から出た。たしかに、わたしたちは、おたがいにばかみたいに狂って、そのおかげで、美の特権的瞬間に遭遇することができたのだとわたしは言いたい。」
…対して、トリュフォーは、ブラッドベリの想像力が生みだした「書物人間(book people)」という存在を絶賛しています。
トリュフォーとブラッドベリの、「狂気の融合」。
映画『華氏451』の、原作における「黙示録的」世界の終焉とささやかな再生を暗示した結末を、大胆に脚色した結末を思い浮かべつつ、大切で愛おしい書物を傍らに置きながら、「2021年」という「時」が、厳かに通り過ぎゆくのを、ただ眺めていたい。

それでは、また。
…そして、幸せな年になりますように。

参考文献:『ある映画の物語』フランソワ・トリュフォー著
(山田宏一・訳 草思社)
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