美酒少し海へ流しぬ 藤本有紀・脚本『大河ドラマ 平清盛』 ~遊びをせんとや生まれけむ~

美酒少し海へ流しぬ

藤本有紀・脚本
『大河ドラマ 平清盛』


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~遊びをせんとや生まれけむ~

 皆様こんにちは。
 めとろんです。

 2017年2月、『大河ドラマ 平清盛』がチャンネル銀河にて、CSで初放送となりました。
 本放送の際は、某知事の「画面が汚い」発言を始めとした、的外れな酷評を浴びながらも、今や「元祖ソーシャル大河」などと喧伝されるほど、Twitterを中心としたSNS上での話題の、大きな盛り上がりも現在の『真田丸』等に引き継がれるエポック・メイキングな作品であったと思います。昨今、再評価の声高まる本作品、さらなるエールを送って参りたい。
 今回は、今まで連綿と綴ってきた『大河ドラマ 平清盛』の感想を、ここに、まとめて採録したいと思います。
 少々、お付き合いのほどを。
 
 尚、物語のネタばれを含む内容ですので、特に後半はお気をつけ下さい。



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◆第1話「ふたりの父」
 まず、このドラマのナレーションを務める源頼朝(岡田将生)が、平清盛の死の知らせを受け取るシーンから始まる大胆さ。後から見れば、歴史の円環が最終的にピタリと閉じる構築美が素晴らしい。
 平安末期、「王家の番犬」と蔑まれた武士。平忠盛(中井貴一)は、白河法皇(伊東四朗)の子を孕んだもと白拍子・舞子(吹石一恵)を匿う。やがて舞子は処刑されるが、忠盛は産まれた子・平太を、わが子として育てる。この子こそ、のちの平清盛である。…
 エマーソン、レイク&パーマーの「タルカス」オーケストラ・ヴァージョンが雄々しく流れるオープニングは、その壮大で美しい映像と共に、一気に作品世界への没入を促す。そして、冒頭から、最終回を鮮やかに想起させる秀逸な初回。あらためて、凄いキャストだ。
 第1話から観返して、やはり鳥羽法皇トトリと璋子福家警部補の現代2大倒叙推理ヒーローとヒロインが夫婦で、しかも微妙な関係なので、予想以上に動揺してしまった。放送時の、全ての雑音から切り離された現在、改めて鑑賞してみると、その"作家性"豊かな独自の世界が、このほどの達成であったのかと息をのむ。
 作品そのものの力さえあれば、後の歴史が証明する…と、改めて。

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◆第2話「無頼の高平太」
 青年となった平太(松山ケンイチ)登場。特に今回は、その後の伏線が幾重にも詰まった回。草薙の剣、高階通憲(後の信西・阿部サダヲ)の登場の仕方(「誰でもよーい!」)…そして鱸丸(上川隆也)との出会い。後半の流れを観た上でこそ、熱く苦い。平安の世界を構築する、美術スタッフの執念が、何度観ても凄まじい。平太は元服し、清盛となる。

◆第3話「源平の御曹司」
 無頼の日々を送る清盛のヤンチャぶりを堪能できる回。「俺と勝負せい!」と現れる源義朝(玉木宏)と宿命の出会いをする清盛。そんな青春劇の裏で、鳥羽上皇(三上博史)、藤原摂関家の藤原忠実(國村隼)ら朝廷内の権力闘争が進行する。鳥羽院への忠誠を試す為、院の警護役(北面の武士)を命ぜられる清盛だったが、いったんは拒絶するも結局それを受け入れることに。

◆第4話「殿上の闇討ち」
 平氏の棟梁・忠盛(中井貴一)と、源氏の棟梁・為義(小日向文世)の大きな見せ場の回である。
 藤原忠実(國村隼)の姦計によって、殿上人となった平忠盛(中井貴一)の命を狙い闇討ちをかける源為義。忠盛はそれを諌めて言う。「源氏と平氏どちらが強いか。それはまだ先に取っておくことはできぬか。その勝負は、武士が朝廷に対し、十分な力を得てからでも良いのではないか」「わしは王家の犬では終わりたくないのだ」その大きな野心を覗かせる中井氏の演技と、対照的に無力感を漂わせる小日向氏の演技、どちらも圧巻である。

◆第5話「海賊討伐」
 清盛と義朝の青春漫才が楽しい。特に後半は、こんな風にクスッと笑えるシーンがほぼ皆無となるので、この頃の青い彼らの姿に、ひときわ感慨を覚える。
 「清盛の志は、いかなるものか」
 清盛「俺は…面白う、生きたい」
 義朝「ふざけておるのか!」
 鳥羽院(三上博史)は、白河法皇(伊東四朗)と中宮・璋子(壇れい)の爛れた関係に苦しみ、得子(松雪泰子)と関係を新たに結ぶ。そんな中、西海の海賊討伐の命が、平氏に下る。

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◆第6話「西海の海賊王」
 海賊船上での、スケールの大きな大立ち回りにまずは驚愕する。清盛と高階通憲(後の信西・阿部サダヲ)の再会と、海賊・兎丸(加藤浩次)との出会い。広い海と、海外との貿易という夢を抱く清盛が、キラキラと眩しい。

◆第7話「光らない君」
 まず、後半の年老いた清盛と、とても同一人物と思えない、ヤンチャな松山ケンイチさんの演技に脱帽。本放送時にはかかり過ぎと感じた、ドラマ全体を貫く主題「遊びをせんとや…」の歌が各シーンの位相により、プリズムの様にその色合い、意味合いを多様に変化させる。また、本回に何度も登場する「瀬をはやみ~」の崇徳院の句。千年の時を越えての、「ちりとてちん」とのリンクに感動した。

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◆第8話「宋銭と内大臣」
 博多で清盛は、忠盛が宋と密貿易していることを知る。そこで高階(阿部サダヲ)と再会し、海外との貿易こそが「面白きこと」であることに気づく清盛であった。
 内大臣となった藤原頼長(山本耕史)は、乱れきった都で法に背く者を徹底して粛清すると宣言。彼は平氏の密貿易を知り、清盛を呼びつけて責める。
 兎丸「いつかお前が作れ…宋と商いして、生き生きと、豊かな世、いう奴を」
 「その手伝いやったら、したってもええ」

◆第9話「ふたりのはみだし者」
 明子(加藤あい)と祝言をあげる清盛。そして、ついに雅仁親王(後の後白河法皇・松田翔太)が登場する。得子(松雪泰子)が待望の御子を宿し、さらに朝廷内の情勢は混乱を極めていく。その祝いの宴に雅仁親王が現れ、ズケズケと露悪的な発言をし去る。
 その姿に怒り漲る清盛の姿に、後半の彼を想起すると複雑な心境になる。

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◆第10話「義清散る」
 佐藤教清(藤木直人)のエピソードがメインの回。待賢門院を慕う彼が、その報われぬ恋の果てに出家する。各エピソードも独立して素晴らしい。ただ、最終話までの全俯瞰図あってこその感動が多々あることも確かである。ただその全体像を知った上であれば、その伏線としての破壊力は揺るぎない。

◆第11話「もののけの涙」
 実質上、女性たちの激しい闘争が、政を動かす。追い落とされる璋子様、崇徳帝。そして清盛の妻・明子の死と、相変わらず登場人物に感情移入した途端に突き放されるハードな展開に翻弄される。明子の死に荒れ狂う清盛と諭す盛国の姿に泣く。

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◆第12話「宿命の再会」
 まさに、出家した信西(阿部サダヲ)との再会は、宿命か。「志だけがあっても、道は開けぬわ…」と嘆く信西。
 明子の死が癒えず、煩悶する清盛。時子(深田恭子)の彼への秘めたる想い。弟・時忠(森田剛)は、その後の策士の片鱗を垣間見せる。
 そして、これまた宿命の、義朝との再会。義朝と由良(田中麗奈)、清盛と時子は「ろくでもない求婚」(笑)によって、それぞれ結ばれることになる。

◆第13話「祇園闘乱事件」
 祇園社で、神輿に矢を射かけた清盛。これが大問題となり、最終的に、鳥羽院が直接、清盛にその意図を問い質す展開に。
 鳥羽院と清盛の対峙シーンに感動。ただ、その長きにわたる極度の緊迫感は、お茶の間にそぐわなかったのでは、と実感。正直、リアルタイムで視聴するTVドラマとしては情報量が多過ぎ、そして芸術的に過ぎたのでは…との想いも湧く。低視聴率の悪名高く、再放映も儘ならないらしい『平清盛』だが、改めて観返してみて、その非の打ち所の無い素晴らしさに感動しきり。OP、音楽も最高。良いのだ、異端であろうと、これを堪能できる幸福を、まずは満喫し人にも伝える事だ。
 さて、あまりに無茶苦茶な(笑)清盛の行動に、遂に家盛が「兄上を嫡男と認めない」宣言を。

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◆第14話「家盛決起」
 清盛と家盛、幼少時のエピソードと、現在の断絶が絶妙に交錯し、その愛情と憎悪が鮮烈に浮かび上がる。そして家盛の死が一門内の相剋を表面化させ、穏健に見えた成長譚を打ち砕く。

◆第15話「嵐の中の一門」
 兄弟同士の確執の、激しいドラマの渦中にあって、西行の再登場と、清盛と盛国の目パチパチに安心。全編を通して、私が1番好きなキャラクターは、上川隆也さん演じる平盛国。慎ましやかなその風情、どこまでも清盛に忠義を尽くす一徹さ、そして温かさ。その大団円まで、一門の演ずるドラマを全て見届ける彼は、もう1人の主役なのだろう。
 藤本有紀さんの『ちりとてちん』『平清盛』を並行して鑑賞してみると、正平と家盛が何か被るのだなあ…それは母親を同じ和久井映見さんが演じているというだけではなく…。順々に螺旋状で行きつ戻りつ、一人ひとりのキャラクターを掘り下げてゆく秀逸な作劇は一貫しているように感じる。一人のキャラクターへの執拗な追求というか、執着が恐ろしいし素晴らしい作家だなあと感じ入る。

◆第16話「さらば父上」
 世代を越え受け継がれる社会変革の理想、そして現実。その全編を貫くタテ糸故に、その世界構築が重要になる。その動きに連動する一族、個人のドラマが有機的に繋がり連動しつつ、うねってゆくさまは圧巻である。清盛の父忠盛の死は『ちりとてちん』における草若師匠のそれを彷彿とさせる。死の瞬間、離れた場所にいる大事な人の前に姿を見せるのも一緒だ。志の継承とその達成という美しい物語が、別の側面からスポットを当てられ、醜悪な暗部をさらけ出していく後半も凄まじかった。まだ、初々しい清盛の姿に(改めての鑑賞だからこそ)熱い感慨を覚える。

◆第17話「平氏の棟梁」
 一門にとっての一大イベント!と身構えていると、清盛と時子、そして子どもたち…こういった時こそ、夫婦・家族というミニマルな関係性を問い直す、凝縮したドラマに仕立てる意外性に、震える。一門内の動揺をあえて後回しにした、思い切った内容に感動。若干コメディ・タッチなのがまた秀逸で、身構えている視聴者を、あえてはぐらかす展開が心憎い。

◆第18話「誕生、後白河帝」
 中心は、近衛帝崩御前後、政界の緊迫した駆け引き。対比される雅仁親王と乙前の夢現な出会い。彼女の「遊びをせんとや…」の今様に生きる意味を見出す親王。全編を貫く博打=双六遊びのキーワードから、遂に思わぬ賽の目、後白河帝が誕生。派手に為朝登場。

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◆第19話「鳥羽院の遺言」
 法皇側か上皇側か。今回の出来事はそのほぼ全てが、清盛の決断へと至る為のパズルのピースとして、一片残らず機能するその美しさよ。歴史の岐路に視聴者自身も立たされ、同じく迷う。否応ない奔流の中で、父子のモチーフが繰り返しエコーする。保元の乱へ。
 さて、ここまで改めて観てきて思うが大河ドラマ『平清盛』、これはミステリとしても十分楽しめる。錯綜した血の系譜、そして呪詛に満ちた因縁。骨肉の跡目争いに絡む、幾多の野望と奸計。登場人物たちの心理の流れと、史実・伝承と矛盾しない物語構築。その鮮やかさは、クリスティアナ・ブランドを想起させる。

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◆第20話「前夜の決断」
 後白河と崇徳の兄弟喧嘩を、武士が代理戦争する保元の乱前夜。平氏も源氏も、一族敵味方に分かれ戦う事に。刻一刻と戦に向かう過程はまるでドキュメントのように、あくまで急がず騒がずじっくりと描かれ、否が応にも血が滾る。忠正の謀反が、判るだけに悲しい。

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◆第21話「保元の乱」
 この歴史的一戦を舞台に、約半年かけて、ここまで溜めに溜め、入念に描かれてきた全ての対立の葛藤が、激しい合戦のアクションと同期し、遂に爆発する!白河院の血をめぐる後白河vs崇徳、信西vs頼長の知略の闘い、清盛vs忠正、源義朝vs為義の兄弟・親子同士の対決。この身を切るが如き戦の先、後白河院が語った目指すべき"新しき世とは何なのか、まだ見えない。源為朝のマンガ的ですらある(笑)圧倒的強さも、このハレの舞台には相応しい。この後の辛い展開もあり、勝利にもかかわらず、爽快感のない結末が辛い。

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◆第22話「勝利の代償」
 まずは勝利した清盛・義朝の青春漫才でホッとした後、藤原忠実と頼長父子に焦点を。悪役然として描かれてきた頼長のキャラクターを更に反転させ、より深く突っ込んでいく手法は『ちりとてちん』を彷彿とさせる。オウムの使い方も、四草が飼う九官鳥の平兵衛と同じく、秘めたる愛情を代弁する役目で秀逸。そして敗残の逆賊である叔父・忠正をかくまう清盛。同じく逆賊の源為義も姿を現し、義朝の出世を喜ぶ。藤原父子の断絶を予感として、平氏の叔父甥、源父子と三様の、血の絆…その先には、新しい世の為に策をめぐらす信西が。絆を断ち切る粛清へと向かう。九官鳥やオウムの機械的な言葉のリピートは、感情が無いだけに、何とも聴く者の胸に刺さる。

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◆第23話「叔父を斬る」
 「父」的な存在である叔父・忠正を斬る清盛。通過儀礼としての「父殺し」だが、「母」の不在から出発した彼にとって、忠盛こそがその存在であり、だからこそ海に惹かれたと思う。義朝は父殺しを果たせず、由良御前の深謀遠慮は、代わりに頼朝に元服を促す。少年の時代の終り。現在の勝利への足がかりを築く平氏と、次の世代へのアーチを描き種を蒔いた源氏。歴史とはかくも数奇なものか。策謀を廻らし、藤原摂関家を政から遠ざけた信西の頬をつたう涙は、後の滅亡につながる理想主義の甘さを示唆する。

◆第24話「清盛の大一番」
 いよいよ、清盛のゴッドファーザーぶりに磨きがかかってくる。
 彼と信西との短い蜜月、息子重盛の婚礼、大宰大弐へと駆け登る姿…嵐の谷間の、珍しく平和な回。後白河帝が上皇に。平治の乱へ、不穏な空気が。この頃の松山清盛が、若く一番輝いている気がする。

◆第25話「見果てぬ夢」
 由良御前の死に涙。信西、義朝との清盛の友情が、ドラマ最初期に配された伏線と共に鮮やかに浮かび上がり、来るべき「平治の乱」へと完璧な舞台を完成させる。遠い過去のシーンが大きな輪を描き旋回して現れ、また新たな意味を付与され止揚される…『ちりとてちん』でも頻出した、緻密な藤本作劇の妙が、ここでも炸裂する。頼朝に対する清盛の笑顔、それを聞く義朝の表情。数奇なこの2人の友情に、胸を熱くする。
 信西が行う正義の急進主義はソ連崩壊等、歴史の常を想起させ、やはり漸進主義が肝要なのかと思いを馳せた。

◆第26話「平治の乱」
 信西の死。それは清盛との初めての出会いの、秀逸なリフレインであり、また普遍的なアイデンティティ獲得のドラマの一変奏であった。"己が誰であるのか"、それは死に至る瞬間、天より降る啓示なのかも知れない。産婆役・信西の死を経て、遂に平氏と源氏が激突する。
 "己が誰であるのか"の問いに「誰でもよーい!」と答えていた信西が、そんな"誰か"ではなく「平清盛」という人間ただ1人を渇望した時、また自身唯一の"生かされている理由"と運命を、まざまざと見出す。信西-清盛、義朝-清盛の関係は、縁起思想を具現化。
 正直、大河ドラマ『平清盛』本放送ではこの回で、最終回までの完走を固く決意した。遠大なアーチを描く緻密な伏線の妙と、阿部サダヲさんの熱演、そして清盛と信西、清盛と義朝の一筋縄でない友情に痺れたのだ。

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◆第27話「宿命の対決」
 全編の折返し地点。清盛の智略に、源氏は遂に敗北する。清盛と義朝が剣をまみえる姿は、初めての出会いのシーンを彷彿とさせ、万感胸に迫る。2人の永遠の訣れに涙。そしてこの後、多くの死の上に掲げられた"志"を遂げる為、清盛のダークサイドが発動する。

◆第28話「友の子、友の妻」
 最重要の布石、清盛の頼朝・義経への処断-平家滅亡の要因となる、この結論に至るプロセスが説得力を持って描かれる。清盛の生涯の同志・義朝への、篤い友情故の痛烈な憤り。
 清盛が頼朝を流罪に処した、その「動機」が、何とも複雑怪奇で凄まじい…あの処断に至るまでの幾重にもわたる心理的積み上げ、そしてその後の汚泥…何と繊細で、一筋縄ではいかぬ作劇。かつ、この瞬間が歴史の分水嶺となる皮肉と必然。恐るべし、である。
 清盛の、汚泥に塗れてもこの世の頂に立つ、との決意がここで固まる。

◆第29話「滋子の婚礼」
 重臣・家貞の死。そして清盛の義理の妹・滋子が上皇と恋に落ち、すったもんだの末結婚する。滋子の天パーを無理矢理修正しようとする件など、珍しく楽しい雰囲気。しかし近代的自我を体現するかのような滋子すら、時代の現実から逃れる事は出来ない。

◆第30話「平家納経」
 『保元物語』等で怨霊と化す崇徳院、鎮撫する西行…そこに名高い"平家納経"の史実を絡める着想の妙。現実と幻想が同居する、平安末期の混沌とした世界を見事に描出。基盛急死の悲しみから、後半厳島へ納経に向かう一門に襲い来る崇徳大魔王の大スペクタクルよ!

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◆第31話「伊豆の流人」
 第3部スタート。早5年、伊豆で慎ましく暮らす頼朝。日宋貿易の更なる前進の為、瀬戸内海港湾の整備に乗り出す清盛。犬猿の仲である後白河院、二条天皇各々にうまく取り入る彼のやり方に異を唱える重盛。そんな中、二条天皇が急死、2歳の六条帝が誕生する。窪田正孝さん、『花子とアン』の朝市役とは全く違う、頑なで神経過敏とも言える繊細さを持った清盛の長男・重盛役を好演。清盛-重盛、後白河院-二条帝と父子のドラマを対比させる作劇法はお馴染みだが、そこに父不在の頼朝が加わると、その孤独が際立つ。和久井映見さん演じる池禅尼、退場。
 重盛を指して、「わしはあんな風に青臭くはなかった!」と言う清盛に、盛国(上川隆也)の「これはこれは…(苦笑)」が、何とも微笑ましく良いシーンだった。
 第3部は、平家の頂点と没落が描かれるので、基本的に陰々滅々…恐らく、ここを藤本さんは最も描きたかったのではないかと思う。その中で、盛国は本当に救いとなる人物であった。願わくは、平家の中に1人でも弾けたキャラクターがいたら、終盤の印象も又違ったのではないかと思われる。

◆第32話「百日の太政大臣」
 飛ぶ鳥を落とす勢いで、朝廷を登りつめてゆく清盛と、流人である頼朝の悲恋が並行して描かれる。日宋貿易で国の形を変えるため、政治の実権を握らんと、藤原摂関家・後白河上皇との権力闘争に奔走する清盛。彼と後白河院との凄絶な双六遊びは続く。しかし、頼朝の恋の結末は衝撃的。何しろ、赤児が不憫だ。明暗極まった感のある、今回の清盛と頼朝。 後半、そのポジとネガの逆転を強調する伏線としての、両者の輪郭の明確化。赤児の死への感傷など微塵もない、厳しい視線に慄然。
 松山ケンイチさん、やはり過日、『ぴったんこカンカン』にゲスト出演していた人と、同一人物とはどうしても思えない^^; その没入した名演には、戦慄すら覚える。
 この作品を、かつて知り合いから「合戦シーンが少なくつまらない」と言われたことがある。
 そう、中盤の平治の乱以降は、これといったアクションはないのは確かかもしれない。だが、観る者の腹の奥までズズンと突き刺さる、普遍的な人間ドラマ、挫折と継承についてのドラマなのだ。

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◆第33話「清盛、五十の宴」
 清盛の五十歳の祝いの宴に、一門の殆どが集結。厳島の増築に武士あがり風情が、雅も解せぬのにと藤原摂関家代表2名が奇襲攻撃するものの、ムロツヨシさん演じる熊のような忠度が、まさかの大活躍。宴会がスタートしてからは、場所を1箇所に限定して男女一門ほぼフルキャスト、それぞれの思惑が複雑に交錯する、舞台劇のような濃密な空間を演出。
 『新選組!』第5話「婚礼の日に」を想起したが、その楽しさや摂関家への勝利の痛快さも、あの祝祭的幸福感には繋がらず、却って不吉な予感がいや増す。彼の五十とは思えぬ若々しさ、限界を知らない夢への突進は、また一つの境界線を越えようと、清盛に死の試練を与える。
 松田聖子さん演じる乙前が、超常的な存在を匂わせ、その運命を司っているのでは…とも思わせ、幻想的な味わいも加味している。何とも贅沢だ。

◆第34話「白河院の伝言」
 リアルタイムで観た時は、恥ずかしながら是迄のおさらい的な、ダイジェスト回と感じた。しかし今、『ちりとてちん』でも顕著だった、視点を変え同じシーンが幾度も語り直される事で、新たな意味合いが付与されゆく重層化構造を踏襲していると気付く。
病に倒れた清盛が、悪夢の中で垣間見る母の死。"子"としての視線での語り直し。そして、既に亡き白河院との対話。ATG映画かと思う描写の中で、時間・空間の位相は取り払われ、更なる"権力の高み"、白河院が見たその「景色」へと、清盛は導かれる。
 いよいよ、上昇の高揚から究極の虚無へと。

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◆第35話「わが都、福原」
 出家し福原に居を移す清盛。目的は、武士が頂に立ち、民を富ませる新しい世を作る事…しかし、その不在の隙を狙う摂関家の魔手は、不満の鬱積した頼盛へと。清盛は、自らの国づくりのビジョンを頼盛に明かす。 杏さん=北条政子の八方破れな元気さが魅力的!

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◆第36話「巨人の影」
 後白河-明雲-清盛の、虚々実々のせめぎ合い。棟梁となりつつも傀儡に過ぎない重盛の焦燥と苦悩。重盛役の窪田正孝さんが上手すぎて辛い。清盛登場で騒動に幕もカタルシスがなく更に怨嗟広がるのがこのドラマらしい。

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◆第37話「殿下乗合事件」
 清盛の夢、日宋貿易実現への布石を着々と。「殿下乗合事件」を、所謂史実と『平家物語』を綱渡りの如く見事に繋ぎ、且つ本ドラマ独自の解釈を加える藤本脚本の妙!時忠の放つ禿の不気味さは平家崩壊の予兆か。『真珠郎』が如き禿たち…久しぶりに観てまたゾッとした。

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◆第38話 「平家にあらずんば人にあらず」
 娘・徳子が高倉帝の妃に…"この世の頂"に近づく清盛のダークサイドが発動。理想は妄執に取って代わり、恐怖政治へ。"志"の継承を紡ぐ美しい物語は変容し、そのグロテスクな暗部をさらけ出していく。

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◆第39話 「兎丸無念」
 "目的が手段を正当化する"陥穽に嵌る清盛。彼と少年時代の夢を分かち合う兎丸が、恐怖政治の走狗である禿(かむろ)たちに惨殺される流れに「遊びをせんとや生れけむ」の今様…童の戯れと残酷な死が重層的に絡む。平家に楯突く者たちを粛清する、禿(かむろ)たちの描写が、さらにオカルト映画顔負け、子どもたちのトラウマ必至で素晴らしい。

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◆第40話 「はかなき歌」
 日宋貿易に邁進する「経済」の清盛と、今様を愛する後白河院の「文化」が両輪となり進む社会実現の一歩手前で、それを繋ぐ建春門院滋子の突然の死。保たれた微妙なバランスが、遂に崩れる予感。頼朝の覚醒も間近だ。

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◆第41 話「賽の目の行方」
 滋子の死により急速に平氏離れの後白河院の力を削ぐべく、天台座主・明雲と結託して強訴を起こさせる清盛。息子を流罪にされた西光も遺恨骨髄、鹿ケ谷の陰謀へと。頼朝、遮那王も其々が己が使命に目覚め始める。

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◆第42話「鹿ケ谷の陰謀」
 後白河院を頭目に、西光、成親らの指図で多田行綱が挙兵し平家打倒の策謀が進行するも、思わぬ裏切りから頓挫する。西光からの、清盛の国作りは信西の理想の実現ではなく「王家への復讐」であるとの指摘は、辛くも一面の真実を突くものであった。それ故に清盛は身も世もなく逆上し、西光を抹殺する。自己を正当化しようと足掻く姿が痛々しく、ヘヴィだ。闇に包まれゆく彼と対照的に、源頼朝と北条政子の光射す豪雨の中の抱擁が眩しく清々しい。

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 清盛の内面には、民衆を富ませる国作りに向かう信西譲りの理想と、虐げられてきた武士がこの世の頂に立つという忠盛譲りの権力掌握への志向がせめぎ合い争っている。そして遂に頂が見えた時、白河院の物の怪の血が激り彼を支配し始める。

◆第43話「忠と孝のはざまで」
 徳子が遂に懐妊し言仁親王が生まれる。この期に挙兵し、後白河院を幽閉せんとする清盛に対し、重盛は「忠ならんと欲せば孝ならず…」と泣いて押し留める。もともと繊細な重盛が崩壊していく姿は、ここまで積み上げられた窪田正孝さんの、迫真の演技が凄まじい。遮那王が元服して義経となり、頼朝と政子は父の許しを得て夫婦となる。北条時政演じる、遠藤憲一さんの目に滲む涙にもらい泣き。
 しかし、杏さんの北条政子には惚れ惚れするなあ…(その後、あんなに恐くなるなんて^^; )

◆第44話「そこからの眺め」
 重盛の死。病床の彼に、平家の安泰を賭けた双六遊びを挑む後白河院…駆けつけた清盛の悲痛の叫び。対峙する2人の盤上で、重盛すらその遊びの駒のひとつに過ぎなかったことが露呈する瞬間。所領召し上げ等、平家の勢いを削ごうとする法皇の策略に対して軍事クーデターを決行する清盛!「治承三年の政変」である。遂に"この世の頂"に武士が立つが、祇園女御に象徴される若き日の「理想」も、彼の許を去る。
 重盛の死に接し、我が子を自らのエゴの犠牲にした悔いと哀しみ、そして怒りに震える清盛だったが、後白河院を幽閉しクーデターが成功したことで、それを単に駒を先に進める駆動力として解消してしまう。これもまた悲劇。

◆第45話 「以仁王の令旨」
 清盛は、高倉天皇に譲位させ、幼い孫を即位させ政を意のままに操る。その姿は、同族支配による独裁そのもの…理想を掲げた革命家が権力を掌握した途端、新たな抑圧者に取って代わる人類史のアポリアを否が応にも想起させる。それは老いの問題ともシンクロし"頂に辿り着いてしまった人間"の有り様を問いかける。平家打倒の令旨が以仁王より下され、いよいよ諸国に散らばる源氏、そして源頼朝、義経が立ち上がる。

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◆第46話「頼朝挙兵」
 臨界点突破の回。初見の際大変衝撃を受けた。特に終盤における、国の頂を覆う暗闇に足掻く清盛の姿…愛でた白拍子の処刑を命じたかと思えば「助けてくれ…」と赤児のように泣きじゃくる。松山ケンイチさんの取り憑かれたかのような演技も凄まじく、その暗黒は日曜夜お茶の間で観る世界ではないと感じた^^; 福原遷都をはじめ、民衆の意を無視した清盛の横暴の連続に、遂に頼朝が挙兵する。
 それが清盛の希望となるパラドックス。

 ナレーターが、源頼朝(岡田将生)であることも通して観るとトリッキーである。1年スパンの長丁場だからこその仕掛けと言うべきか、彼は終盤から、客観的立場から物語そのものにコミットしてくる人物であり、その異化効果は素晴らしい。

 また、改めて思うことだが、私が『大河ドラマ 平清盛』を愛する理由のひとつとして、『伝説巨神イデオン』的な、"負のカタルシス"という部分があるのかなあ…と改めて感じる。延々と『発動編』をやっているような凄味がある…。

 そしてここまで観てから、第1話を立ち返って観直してみると、ここで発せられる清盛の悲痛な問いの全ての答えが、既にここにあったことに瞠目する。藤本有紀さんの脚本の見事なまでの収束性に感じ入る瞬間である。

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◆第47話 「宿命の敗北」
 転調、源氏勢の新勢力がメインに。「富士川の戦い」でまさかの敗戦、責める清盛に軍師・伊藤忠清は諌める。武士の世を作る為に、平家は武士ではなくなった…清盛すら、既に武士ではないと。理想を達成せんとした時、自らの存在が別のものに変わっていた。清盛の人生の意味すら否定しかねない強烈なるアンチテーゼ。では頼朝は真の武士の世の覇者たり得るのか。頼朝と義経の再会は波乱を含む。

◆第48話 「幻の都」
 棟梁・宗盛の必死の諫めによって、僅か半年で福原から京に還都と決まり、巨大な内裏は廃墟と化す。意気消沈する清盛。ここで藤本作劇独特の"語り直し"が炸裂、彼の人生が頼朝の視点でもう一度俯瞰的に反芻され、止揚される。武士の世の志を継承する使命が、源頼朝側にあると再確認されクライマックスへの準備が整った。諸行無常の響きに向けて、平家の滅びが加速する。

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◆第49話 「双六が終わるとき」
 ここへ来て、悠揚迫らぬ天晴な語り口で、清盛の最期の日々が描かれる。頼朝が構想する鎌倉の街は、清盛が思い描いた福原の都と相似形を為し、彼が後継者であることを印象付ける。そして、後白河と清盛の双六遊び。勝った側の願い事を、負けた側がひとつ叶える約束…それは、この2人の一生を賭けた双六をこれで終いとすること。片想いの相手に永遠の別れを告げるかのような、後白河の視線が、去りゆく平安の世への惜別の意を感じさせる。そして、病に倒れる清盛。
 いよいよ次回、大団円を迎える。

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◆最終回「遊びをせんとや生まれけむ」
 冒頭の大胆なタイトルの出方から"貫いた"感が横溢で感慨無量。清盛の死。そして、その後の歴史の行く末に、西行の身体を通じて現れる彼の霊。一門滅亡の直前に、一族全員を1人ひとりを素直に讃え、感謝を伝える清盛(の霊)。特に盛国への言葉に涙。壇ノ浦の戦いの時子の最期の凄絶な美しさ。頼朝と会い、弟・義経を殺せるかと覚悟を試す清盛(の霊)。同じ通過儀礼を経て遂に武士の世へ。そして室町時代に至り、清盛が夢見た日宋貿易の実現へと、志は受け継がれてゆく。

 エピローグとして、海の底に築かれた平家の都が悠久の時を経て続いてゆく進化の営みの、亡びることなき記憶として永遠にそこにあり続けることを宣言して、"ある人間の一生というものを描き切る"試みは終わる。

 人の志には果てしがなく、完結した人生などない。
 だがその心と行動は受け継がれ、大きな歴史の奔流となっていく。
 その流れの只中に我々はいるのだ。

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◆『大河ドラマ 平清盛』は、素晴らしい。
 脚本家・藤本有紀さんの揺るがない作家性。映像設計や演出のトータルな一貫性。適材適所の演者たちの熱演。これ程長尺のドラマとして、完成度は抜きん出ていると思う。その一分の隙もない工芸品のような屹立したストイックさが、無愛想な印象を与えるとしても。
 何にせよ第45話「頼朝挙兵」は、大河という一年にわたる積み重ね、この素材だからこその、一見に値する到達点だと一視聴者として思う。初見時は、ここまで突き抜けて良いのか?…と正直戸惑った。世代を越えた夢の達成、そこで清盛が見たものは…その救いの無さが衝撃であった。
 "平安のゴッドファーザー"を標榜した『大河ドラマ 平清盛』は父-子の物語であり同じく"カインとアベル"の物語である。忠盛-為義、清盛-家盛、清盛-義朝、清盛-忠正、そして清盛-後白河院…鏡像関係にある源頼朝-義経もまた、このモチーフの変奏である。
 そして、清盛の"負"の部分や破滅さえも、次の時代の礎として継承されゆくタイムスケールの遠大さと俯瞰的な視点にSF的センスを感じ、組織・家族の血の繋がりも含めた、膨大な人間群像のドラマを縦横に統べ、伝承とのリンクも押さえつつ、繊細な伏線の束を張り巡らす点に、本格ミステリ的センスを感じるのである。

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◆最後に、『NHK大河ドラマ・ストーリー 平清盛 前編』に掲載されている、脚本・藤本有紀さんの「大河ドラマ 「平 清盛」を書くということ」から、引用させて頂きます。

「遊びをせんとや生まれけむ/戯れせんとや生まれけん/遊ぶ子どもの声聞けば/わが身さへこそ動(ゆる)がるれ」。
遊び、戯れ、子ども、動(ゆる)ぐ…。
 心地よい七五調のリズムに乗っているのは、どこかわくわくするような単語ばかりです。
 夢中で遊ぶ子どものような姿。
 高らかな笑い声。
 まわりがつられて動き出すほどの求心力。
 「そのために生まれてきた」と言い切る潔さ。
 そこに平清盛という人が重なったときに、すべてのキーワードはひとつにつながり、乱世のど真ん中にいる清盛がその途方もないエネルギーで同時代を生きる人々を巻きこんでいくイメージができ上がりました。
 激動の平安末期、子どもが遊び戯れるように夢中になって生きる清盛。
 それが、この物語の主人公です。


 全編が、このスピリットで見事に貫かれた傑作、『大河ドラマ 平清盛』
 もし、CS放送を観られる環境ならば、ぜひご鑑賞を、と全力でお勧めしたい。

 それでは、また!


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