2017年01月12日

「善悪の彼岸」の彼方へ 多羅尾伴内と金田一耕助 ~スーパープレミアム『獄門島』(2016)~ 《ミニコラム》

《ミニコラム》

「善悪の彼岸」の彼方へ
 Jenseits von Gut und Böse

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多羅尾伴内と金田一耕助

~スーパープレミアム『獄門島』(2016)~

 皆さま、あけましておめでとうございます。めとろんです。

 2016年11月19日(土)20:00-22:00、NHK-BSプレミアムにて、新作ドラマ『スーパープレミアム 獄門島』が放送されました。
  このドラマを楽しく拝見しながら僕は、今さらながら三つの殺人の見立てに使用された三首の俳句について改めて、つらつらと考えを巡らせていました。
 
 

 「むざんやな 冑の下の きりぎりす」「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」に関しては、二首揃って芭蕉翁の句であり季語が「秋」、どちらも嘉右衛門のお小夜への怨念の具現化ともいうべきアイテムが含まれており、根拠のある「見立て」の必然性が感じられます。

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 つまりは釣鐘=『娘道成寺』を演ずるお小夜、一つ家=祈祷所で加持祈祷をするお小夜の記憶へとつながる内容となっていると思わせます。
 それに対して、「鶯の 身をさかさまに 初音かな」の一首だけ、なぜか芭蕉の高弟であった室井其角の句であり、季語も「春」、明確なお小夜との関連アイテムも含まれてはいないという…この差は何故なのか、以前から疑問に思っていました。
 想像を逞しくすれば、鬼頭嘉右衛門翁は、風流人にして磊落な自由人・其角を自分に重ねていた、いわゆる"其角ファン"だったのではないか…芭蕉翁の二首は純粋に「見立て」のため、しかし最初の「鶯」の句は、多分に映像的であり装飾的な(師匠・芭蕉とは相反する)作風であり、嘉右衛門は一首だけ、ファンとしての自分の「純粋な好み」で決めたのではないか…などという想像をしたりしてみたのですが、それは余談。

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◆さて今回のドラマの印象的なラストを観て、僕が想起したのは片岡千恵蔵主演の金田一耕助シリーズでした。『三本指の男』('47)のラストで、片岡金田一は旧習に凝り固まった犯人と格闘し、警官に逮捕させた後、悲しみに暮れる糸子刀自(杉村春子)にこう語ります。

 「…ご隠居さん、あなたはまだいいのです。あなたには三郎さんがいます。鈴子さんがいます。しかし久保夫妻には…夫妻には後に誰もいないのです。亡き兄さんの忘れ形見、一輪の花、ただひとつの希望…生涯のすべてのものは、この事件のために…因習と偏見のために、喪われたのです…」

 そして、『獄門島 総集編』('50)のラストにおいて吐き捨てるように呟くこの台詞。

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 「フンッ!…所詮が密貿易と海賊の汚名で築きあげた本鬼頭の家名、系譜、家柄、由緒が…五つの生命に換わるほど貴重であるとは、まさに愚劣!…アハハハハハ…」

 「封建的な、あまりに封建的な…!」

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 石上三登志氏の『日本映画のミステリライターズ』では、「これは実は原作の最終章第二十五章のそのタイトル。でも千恵さんが時代劇調で言ってしまうと、なんとなく収まるのもまた事実ではある。その辺を面白がるか、軽蔑するかが、この「獄門島」評価の分岐点。」(ミステリマガジンNo.608「第2回 比佐芳武(Ⅱ)と「獄門島」)と語られており、まさに納得なのではあります。(笑)ただ、この「怒り」…旧習と差別、古き日本を象徴するかのような犯人に対する怒りを露わにし、成敗して去っていく片岡金田一の姿を、長谷川金田一のラストにおける「怒り」を間近にして(その違いも含めて)想起したのでありました。

◆そこで登場いただく、もうひとりの男。
 片岡千恵蔵主演で戦後大ヒットをとばした『多羅尾伴内』シリーズの、名探偵・多羅尾伴内こと藤村大造です。

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 昭和21年12月31日公開 『七つの顔』(シリーズ第一作)
 昭和22年12月9日公開 『三本指の男』

 脚本・比佐芳武、監督・松田定次、撮影・石本秀雄、主演・片岡千恵蔵というまったく同じ布陣でスタートした両シリーズ。大映で大ヒットした多羅尾伴内シリーズにあやかって、何としても東横映画(東映の前身)にも似たような当たり役を…と牧野(マキノ)満男氏が企画製作した片岡金田一耕助『三本指の男』。だからこその、金田一の変装趣味でもあったでしょう。
 脚本・比佐芳武氏の述懐によれば、戦後、GHQの「時代劇の製作は好ましくない。日本刀の使用は一切禁止する」とのお達しに時代劇中心の京都映画界が動揺、千恵蔵氏から「来年の正月映画は僕の現代劇だが、君、書いてくれないか」と依頼があったといいます。試写の評判は芳しくありませんでしたが、いざ公開となったら飛ぶ鳥を落とす勢いの大ヒットとなりました。
 金田一シリーズに先駆けた『七つの顔』は、片岡千恵蔵演じる多羅尾伴内の人情派ぶりが良く、却ってその正体•藤村大造より魅力的に映ります。「ホームズ、ルコック、ソーンダイク博士、チャーリー・チャン、フィロ・ヴァンス、クイーン…」なんて台詞もあり、脚本の比佐芳武氏のミステリへの造詣は、登場する"同じ家"をめぐるトリック等、随所でありありと見受けられ、楽しい限りです。
 そして主人公、藤村大造は過去に大泥棒として名を馳せるが、松川刑事のお陰で更生し、正義と真実の使徒に生まれ変わったというヒーローなのです。

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 「藤村大造が真人間として復活するためには、まだ多くの正義と真実が必要です」
 「償いは無限ですよ。ぼくの生ある限り、犯罪と不正のある限り、ぼくの償い、ぼくの戦いは続くのです」
 「暗い巷に邪悪と不正のある限り、ぼくの苦行は終ることはないのです」

(関貞三著・林家木久蔵編『多羅尾伴内 七つの顔の男』ワイズ出版)

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 さて、『三本指の男』などのユーモアのわかる洋行帰りの紳士•金田一耕助と、大泥棒としての罪滅ぼしに正義の使者となった藤村大造という、同時期に描かれた表裏一体である2人のヒーロー。過去(一説には、異国へ亡命)の所業の反省から、贖罪のために世直しを開始した藤村大造に対して、文明(西洋)世界からの使徒として、封建的な旧日本世界の世直しに勤しむ片岡金田一耕助という構図。
 金田一と藤村は、当時の日本人自身の一部が(それが無意識的であっても)じつに投影されたであろうキャラクターとなっているのです。
 
 なお、『獄門島 総集編』では、"GHQの擬人化"金田一はその意向通り、旧日本を一方的に糾弾するように見せて、絶妙な作劇的仕掛けを施しています。
 それは因習深い"旧秩序"側を象徴する人物に、片岡千恵蔵を配し、1人2役を演じさせているのです。これはお決まりの"ご趣向"であると共に、単に旧いものを"悪"、新しいものを"正義"にと2極化するのではなく、同じ存在の"2面性"として浮かびあがる装置となっていて、過去を断絶•否定し別の存在に"変身"するのか、漸進的に改良•更新しつつ"変化"していくのか…新しい時代の到来にあたり、当時の製作者たちの中で、その総括と再確認がおのずと行われた痕跡ではないか、と想像とともに感じ入るのでした。

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◆今回の『スーパープレミアム 獄門島』、金田一耕助を演じたのはご存知の通り、昨年『シン・ゴジラ』でも脚光を浴びた長谷川博己氏。『MOZU』東和夫役に衝撃を受けて以来、長谷川博己氏の熱烈なファンである私としても大満足。如何にもな名探偵ぶりが何故か気恥ずかしく、残念ながら物足りなさの残った『金曜プレミアム 誘拐ミステリー超傑作 法月綸太郎/一の悲劇』(フジテレビ 9月23日放送)の法月綸太郎役を考えれば、やはりどこか破綻したキャラクターこそピッタリくる俳優さんだと再認識しました。

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 長谷川博己演じる金田一耕助が抱く、了然和尚との対決で表明する「怒り」
 それは、戦後間もなく描かれた「怒り」と「贖罪」とは、また異なるものであったように思えます。
 片岡千恵蔵演じる金田一耕助が抱く、(軍国主義を生みだした)旧習、古き日本に対する「怒り」
 片岡千恵蔵演じる藤村大造が抱く、新しき時代を築く動機としての過去の犯罪に対する「贖罪」

 南方戦線に送り込まれ、その記憶に苛まれている長谷川金田一には、自らが再び「殺人者」になる可能性を孕む時代に生きる人間にとって、(現実に経験したことの無い世代の表現であることは前提として)強烈な切実さを持って描かれていると感じました。
 
 彼は、国家から「頼まれて」人を殺す行為に加担するも、それを支えていた「美しき思想」が瓦解し無に帰してしまったことに対して、限りない「怒り」を抱えています。
 鬼頭嘉右衛門から「頼まれて」「美しい」殺人を演じた犯人と金田一耕助は、2人が対峙する映像が象徴するがごとく鏡像関係にあり、彼があげる激しい嘲笑の刃の切っ先は、自らに向けられているのでしょう。


(正直、長谷川さんの過剰なまでの演技も含めて、好きとは言えませんが…)
 このけたたましい笑いと怒りの糾弾こそが、僕が片岡版『獄門島 総集編』を連想した原因なのですが、それならば犯人像もいっそのこと、この作品と同じであれば良かったのではないか、とも思ったのです。
 何故ならば、この金田一耕助が本当に糾弾すべきであったのは、自らと同じ「殺人遂行者」ではなく、まさにそれを統べ「人殺し」を始めた、その「張本人」ではないのか、と思えるからでした。   
 ですので、もし続編(『悪魔が来りて笛を吹く』?)があるとするならば、その登場人物または犯人は「そういった立場の人間」に脚色されるのではないか…と妄想しています。
 いずれにせよ、今後あり得るかもしれない「人が人を殺す」ことへの追求を通して、金田一耕助が何かを見いだし、当初の人間性を取り戻していく過程が描かれれば嬉しいなあ…と思います。

 「戦争は…戦争は、本当に酷いものでした。目の前で、たくさんの人間が死にました。
 たくさんという言葉では言い表せないほど、たくさんです。
 何もできないまま、ただ、死んでいきました。
 それが今さら、娘の2人や3人を救うために、こんなに必死になるなんて…妙な、話ですね。
 …本当は…本当は、救う気なんか無かったのかも知れません。
 ぼくはただ、わけが欲しかったんです。
 今日を生きるわけが。」


 冒頭とラストで、叩きつけるように流れる、マリリン・マンソン『Killing Strangers』

 We're killing strangers, we're killing strangers
 We're killing strangers, we're killing strangers, so we don't kill the ones that we love

 LOVE
 LOVE
 LOVE

 
 今日を生きる「わけ」…そして、殺す「わけ」を求めて、彼は憑かれたように謎を解く。


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 かつて、原作では「南無…」と、古き封建主義の時代へ合掌し、穏やかに弔った男。
 そして今、単なる殺人行為を、煌びやかに飾る美辞麗句を引っくるめて「無駄無駄無駄!」と怒り断じる姿は、この時代にこそ降り立った金田一耕助像のひとつの形なのかも知れない…と、不穏な時代の到来の気配を、如実に反映した作品であるとも感じたのです。

 それでは、また!


参考資料:
石上三登志『日本映画のミステリライターズ』(「ミステリマガジン」連載)
畠剛『松田定次の東映時代劇』(ワイズ出版)
田山力哉『千恵蔵一代』(現代教養文庫)
マキノ雅裕『映画渡世―マキノ雅裕自伝』(角川文庫)
関貞三『多羅尾伴内―七つの顔の男』(ワイズ出版)
『獄門島 総集編』映像資料提供…町田暁雄氏

※今回の記事は、Twitterにおけるめとろん@metolog71の一連のツイート
2013年6月5日/同年12月2日/2014年10月31日/2015年3月27日
を基にしています。

ラベル:横溝正史
posted by めとろん at 13:34| 千葉 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 横溝正史 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今年もめとろんさんのブログとツイート楽しみにしております。
さて、今回のBS版『獄門島』ですが製作者の確固たる意図を感じ、結末に好悪が分かれるにしろ、歴代の映像化の中でも屈指の作品と思いました。かつて石上三登志氏が『獄門島』の原作を評して作品が一つの日本論になっていると述べらていましたが、長谷川博己の絶叫にも、閉塞的な今の日本社会への怒りが痛切に感じられました。ミステリとしても原作の面白さを損なわない脚色は見事だったと思います。
Posted by ハヤシ at 2017年01月12日 16:16
ハヤシさま、早々のコメントありがとうございますm(_ _)m 今回の『獄門島』は、ハヤシさまの仰る通り好悪が分かれるにせよ、現代に斬り込む気骨ある作品であったと思います♪ 悩み傷負う長谷川金田一には、白木静子さんのような相棒(女性でも男性でも、高木渉さんでも^_^!)が必要なのではないかと、近所のオバちゃんのように心配する日々です^^;
また、コメントぜひお待ちしております。

>
>今年もめとろんさんのブログとツイート楽しみにしております。
>さて、今回のBS版『獄門島』ですが製作者の確固たる意図を感じ、結末に好悪が分かれるにしろ、歴代の映像化の中でも屈指の作品と思いました。かつて石上三登志氏が『獄門島』の原作を評して作品が一つの日本論になっていると述べらていましたが、長谷川博己の絶叫にも、閉塞的な今の日本社会への怒りが痛切に感じられました。ミステリとしても原作の面白さを損なわない脚色は見事だったと思います。
Posted by めとろん at 2017年01月13日 16:43
待ってました。久々の更新ですね。

『スーパープレミアム 獄門島』の長谷川金田一に『獄門島 総集編』の片岡金田一、さらには同じく片岡千恵蔵による多羅尾伴内を交えた考察、なるほどです。
個人的には金田一の心の闇に着目し、名探偵という役目を超えた意味づけをしたところが、『スーパープレミアム 獄門島』の新しいところと思っていたのですが、当時の金田一映画が実はすでにそういう部分に着目していたのかも、と考えるのは面白いですね。
一度、片岡金田一も観てみたいものです。
Posted by sugata at 2017年01月14日 19:32
sugata様、コメントありがとうございますm(_ _)m

そうですね、片岡千恵蔵扮する金田一耕助も多羅尾伴内(藤村大造)も、その後シリーズが進むにつれどちらかと言えば、その背景は薄れスーパーヒーロー然となっていってしまうのですが(^^; 比佐芳武さんの脚色・脚本も楽しく、私は大好きです♪
本年も、書評サイトの王者『探偵小説三昧』で勉強させて頂きます。よろしくお願い致します。
Posted by めとろん at 2017年01月15日 12:17
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