(改訂版)思いつき「悪魔の手毬唄」考 「書かでもの記」より

思いつき『悪魔の手毬唄』考
(改訂版)

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横溝正史「書かでもの記」より

 皆様こんにちは、めとろんです。

 今回は、横溝正史(敬称は略させて頂きます)の傑作長編『悪魔の手毬唄』について、少々述べてみたいと思います。
 隠す必要もありませんが、ぼくは少年時代から横溝正史の作品を愛読してきました。
 本格ミステリを人並みに好きになった最初のきっかけも、中学2年生の時、表紙の過激さから書店員さんの目を気にしながら購入した、『獄門島』(角川文庫版)でした。
 そして、ぼくをその行動に走らせたのは、小学生のとき親戚の家のテレビ放映でたまたま見た、市川崑監督・石坂浩二主演の金田一耕助シリーズだったのでした。


◆横溝正史が『悪魔の手毬唄』を書いたのは、昭和32年~34年「宝石」。昭和28年の『悪魔が来たりて笛を吹く』以来、待望の本格長編連載でした。
 世には松本清張を始めとした社会派推理小説の波が押し寄せつつあった頃。この連載終了後、正史は40年代後半まで過去の捕物帳の整理等以外の、探偵小説の執筆をほぼ休止してしまいます。

 『本陣殺人事件』『蝶々殺人事件』『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』など戦後、本格探偵小説の傑作を矢継ぎ早に発表し続けた横溝正史。
 満を持して「宝石」誌に連載された『悪魔の手毬唄』もそれに連なる傑作に数えられますが正直、構成やロジックの緻密さや動機の必然性などにおいて、往々にして他の作品より一歩退いた作品として見られがちではないかと思います。

【 御注意 】
 以下、この作品の犯人およびメイン・トリックに関するネタばれを含みます。未読・未見の方は申し訳ありませんが、御遠慮願います。↓↓↓





















 
 今回、この作品を読み返してみて、その感想は変わりませんでした。
 ただ、ひとつ考えついたことがあります。
 横溝正史ファンの方ならご存知ではあると思うのですが、この作品には「歌名雄」という青年が登場します。この作品の犯人、青池リカの息子です。

 この名前を、ぼくは以前に見たことがありました。

 横溝正史自身が執筆した自伝的随筆「書かでもの記」(『幻影城』1976年5月増刊 No.18「横溝正史の世界」)に、正史の異母兄「歌名雄」さんについて詳しく書かれていたことを、ページ上でこの名前を見た時、フラッシュバックの如く思い出したのでした。

「書かでもの記」に綴られていたこと…。
それは、横溝正史の父・宜一郎と生母・はまがお互いに家族がありながら不倫し、駆け落ちして神戸に移り住み、正史が生まれたこと。そして、宜一郎が駆け落ちした時、置き去りにした妻の息子が歌名雄。歌名雄の母は、主人が駆け落ちしてしまい、まもなく便所でみずから縊れて死んだといいます。

 正史の実母、はまは神戸に移ってからまもなく死去。

 宜一郎の後添えの浅恵が、あたらしく母となりました。彼女は歌名雄を引き取り、正史兄弟たちと同じ屋根の下で暮らすこととなります。歌名雄にとって、正史の今はなき母は、自分の母を死に追いやった「生涯の仇敵」。その息子である正史たちとの共同生活は、さぞ複雑だったでしょう。
 そこで、思い当たります。「悪魔の手毬唄」は、歌名雄の母リカが、夫と他の女の間にできた子供を、殺していく物語である。

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 青池リカの夫・源治郎は、恩田幾三と称して由良敦子、仁礼咲江、別所春江と次々と関係を持ち、遂にリカによって殺される。そして20数年後、リカと源治郎の子供、歌名雄は敦子の子・泰子、咲江の子・文子から恋焦がれる身となった。しかし、リカだけが知っていた…全員が異母兄弟であることに…。

 言ってみればリカは、宜一郎氏の自殺した前妻が、自殺せずに"亡霊"として小説のなかに甦った姿なのではないだろうか。
 『悪魔の手毬唄』(旧角川文庫版、P447)には、こんな一節があります。

"「このふたりの言葉をくらべてみると、源治郎はリカと歌名雄を亀の湯におしつけといて、じぶんは春江さんといっしょに満州へ飛ぶつもりじゃったんじゃないか。それをなにかのはずみにリカが嗅ぎつけて…と、いうことになるんでしょうなあ、金田一先生」
「はあ」"


 この文章の"源治郎"="宜一郎""リカ"="歌名雄の生母"、そして"春江="はま""満州"="神戸"に置き換えてみたとしたらどうでしょうか。また、妻がありながら密通した宜一郎の行動も、小説のなかの"源治郎"と同じように、世を憚る密やかなものだったでしょう。
 そして、"歌名雄の生母"は、夫を奪った女の子供たち(現実に立ち返って言えば、=正史たち)に、一人づつ復讐していくのです。小説の中で、手毬唄にみたて殺されていく3人の娘は、じつは、自分(正史)を含めた不義理の子供たちの分身ではないのでしょうか。

この仮定を補強する一文として、「書かでもの記」には、こんな一文もあります。

「そういう話を聞くたびに、幼い私は罪の意識に悩まされ、それがいまだに何事にもあれ根強い劣等感となって、尾を引いているのであろうと私は今でも思っている。」
(『幻影城』1976年5月増刊 No.18「横溝正史の世界」「書かでもの記」P18)

 あくまでぼくの想像ですが、正史は探偵小説の作品世界の中で、自分自身を被害者として、自らの罪、「自らの罪深き血」を粛清したかったのではないでしょうか。正史が「自虐の作家」たる所以です。そして、亡き歌名雄の母の恨みを、フィクションの中で叶えてあげることで、そのせめてもの供養としたかったのではないでしょうか。
 また、ぼくにはこの作品の最終章が、"耕助が逮捕された青池リカと相対して、村人たち及び警察を前に推理を語る"、という形であっても、全く支障はないように思われるのです。一つひとつの事実を犯人に確認するシーンが挿入されることで、耕助の推理のロジックも補強されるはずなのですが、そうはならず、耕助は延々と憶測を語り、不可解な犯人の動機に思いを至すだけなのです。

 だからこそ、『悪魔の手毬唄』の最終章である第32章のサブタイトルは「金田一耕助憶測す」なのであり、人ならぬ亡霊は、探偵と対決することを許されるはずもなく、また探偵は、手錠を掛けることができないのです。リカの動機を、直接本人に語らせることを正史はしませんでした。
 それは正史にとって"聖域"であり、意識的にせよ無意識にせよ、描くことを避けたのではないか…と想像します。

◇加えてもう一つの仮定として、この小説は正史にとって、切実なひとつのシミュレーションだったのではないか…とも考えられます。
「もし、"歌名雄の生母"が死ぬことなく、"宜一郎"の方が死んでいたとしたら。」
その良人への"愛"故に死を選んだ妻。その"愛"故に、不貞の夫への憎悪を滾らし、死をもたらす妻。

「だからこれは心理学的にいって避けがたい衝動であったのではないかと思うんです」
 (『悪魔の手毬唄』旧・角川文庫版 P454)

 どちらに転んでいたにしても、それが果たして、"横溝家の一族"にとって幸福な結末をもたらしたのか-。

 正史の結論は、断じて「否!」、であったように思われます。憎しみの連鎖が、厳しい因果律として最終的な"惨劇"を生み出す。それは、亡き異母兄である"歌名雄"氏への、正史なりのメッセージであったのかも知れません。

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◇閑話休題。
 傍流は最終的にひとつの大きな流れに合流するとは言え、ここで少々角度を変えまして、都筑道夫:著『黄色い部屋はいかに改装されたか?』(晶文社)に於ける『悪魔の手毬唄』の評価について触れてみたいと思います。
 本作品は、同書で"昨日の本格"として、失敗作の烙印を押されています。以下、抜粋です。

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 "「悪魔の手毬唄」の犯人は、その地方の古い手毬唄にのっとって、次つぎに若い娘を殺していきます。
 死体は奇妙なアクセサリをつけて、発見されるわけです。読者には序章で、その唄が紹介されるので、すぐわかりますが、作中人物たちには、わけがわからない。土地でもわすれられて、よほどの年よりでもなければ、知らない唄だからです。
 ふつう見立て殺人のパターンは、それが見立てであることが、作中人物にも早くからわかって、恐れおののくものです。けれども、それが早く知れると、次の被害者がわかってしまうので、作中人物を怖がらすわけにはいきません。作者も痛し、かゆしのところです。
 といって、犯人が見立て殺人をおこなう強力な理由も、説明されてはいない。つまり、見立て殺人が生きていないのです。ただのオブセッションであったのでは、狂人ということになって、まあ、狂人にもそれなりの必然性と、信じられる論理はあるのですから、解明できないわけではないけれども、それでは犯人暴露のあとの推理が長くなりすぎる。犯人さがしの謎とき小説としては、常人の必然性がほしいところですが、それはないのです。
 ある人物が、見立て殺人とわかったとたんに疑われて、ひとつの効果はあげていますが、その人物は最初に殺されています。
 犯人がその人物を疑わせようとして、同時に恐怖をあたえようとして、見立て殺人をおこなう-つまり、その人物がもっとあとまで生きていたなら、まだわからなくもありませんが、そうでもない。第一、犯人が見立て殺人であることを、積極的に知らそうとはしないのです。なぜ古い手毬唄にのっとって、なん人ものひとを殺したのか、ついに犯人の口からは聞かれないまま、小説はおわります。
 タイトルにまでなっている重要な問題が、ただ読者の興味をそそるための道具立てにしかなっていないのですから、黄金時代末期の奇に走りすぎて論理の一貫をわすれた本格、といわれても、しかたがないでしょう。"

(『黄色い部屋はいかに改装されたか?』都筑道夫 晶文社 P59-60)

 ぼくは、この都筑先生の批判を読み考える中で、ひとつの仮説を立ててみました。
 ここで問題となっているのは、"見立ての必然性"です。この点について、改めて検証してみたいと思います。

作者はまず、
①プロローグで「民間承伝」という会員制の小冊子に掲載された、(容疑者)多々羅放庵による「鬼首村手毬唄考」という一文を記すとともに、その手毬唄全文が提示されます。
 手毬唄の「返された、返された」の一節が「殺された、殺された」を意味しているという解釈をはじめ、その内容すべてが"こう多々羅放庵氏は言っている"調の、あくまで"彼によるもの"であることを、わざわざ明示しています。これは、この"手毬唄"の伝承の存在そのものが、客観的事実ではなく、多々羅放庵氏による"記述"であることを顕しているとはいえないでしょうか。

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②村のご隠居、手毬唄を知る(放庵を除いて)唯一の存在である五百子が、金田一耕助らに手毬唄の存在を語るシーン(旧角川文庫P314~第24章 民間承伝)
 五百子「わたしなんかももうすっかり忘れてしもうとりましたん」それを何故思い出したのか尋ねられると、"お庄屋さん(放庵)に根堀り葉掘りたずねられて、やっと思い出した"と話します。
 五百子「なにせ、ずいぶん昔のこってすじゃろ。それに近年とんと聞いたこともない唄ですけんな、お庄屋さんに尋ねられても、根っから葉っから思い出せませんのん。かえってお庄屋さんのほうがようおぼえておいでんさって、ああじゃったかいな、こうじゃったんかいなあと、お庄屋さんのうろおぼえと、わたしのうろおぼえとつなぎあわせているうちに、だんだんと思い出してきたんですわなあ。それがなかったら、わたしじゃとって、とっくの昔に忘れてしもうとりますわなあ」
 そして、その内容が「民間承伝」に載った後、雑誌を持ってきて、「おなじことをなんべんもなんべんも、読んできかせてつかあさったん。」とも語っています。

この「鬼首村手毬唄」のただ一人の"うろ憶え"の伝承者が、"かえってお庄屋さんのほうがようおぼえておいでんさって"、"おなじことをなんべんもなんべんも、読んできかせてつかあさったん"と打ち明けていることは、何を意味するのか。つまり、「鬼首村手毬唄」そのものが(ある程度)放庵氏の創作であり、尚且つそれが"昔ながらの内容"だと(いささか耄碌した老婆へ)暗示をかけたフシがあると思われるのです。
 "見立ての必然性"-「鬼首村手毬唄」、それは、じつは放庵氏が青池リカに仕掛けた"トリック"だったのではないでしょうか。青沼源治郎の不貞。そこから派生した惨劇もつぶさに知る唯一の人物、放庵だからこそ描けたシナリオ。

 "金田一「だから、リカは『民間承伝』という小冊子のことも『鬼首村手毬唄考』のこともしっていたと思うんです。そして、その手毬唄にうたわれている三人の娘というのが、たまたまじぶんの亭主をうばった三人の婦人の腹にうまれた娘たちと一致するとしったとき、リカは非常な感銘をうけたにちがいないと思うんです。
おそらくそのじぶんからリカは潜在的にしろ、こんどの事件の計画をあたためはじめたのではないでしょうか」
 磯川警部「それはありうることでしょうな」"

(『悪魔の手毬唄』旧・角川文庫版 P457)

 -この一文でもわかる通り、青池リカもこの「鬼首村手毬唄」を、"小冊子『民間承伝』"から知ったのです。そう考えると、手毬唄にある"お庄屋殺し"の一節も、自ら殺されることへの"抑止力"を講じたと考えられなくもありません。
 彼が、この「連続殺人」そのものの"演出者"だったのか、または、この(自作の)手毬唄を雑誌に公表することにより、未来に起こるであろう惨劇を予告し、それを未然に防ごうとしたのか。故意か偶然か、今となっては分からないにせよ、この「手毬唄」そのものが、犯人を触発し、事件を起こさしめた"動機"そのものであった。だからこそ、犯人はこの"シナリオ"に添って犯行を進めたのではないか。

 -そう考えると、「悪魔の手毬唄」の真犯人は、《彼》だとも云えるのです。
 その名は、多多羅放庵

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 そして、この人物のモデルに関して、正史は「書かでもの記」に於いて、こう記しています。

 「さらにもうひとつ附け加えさせてもらえるならば、話は前後するが私は疎開中、はまに置き去りにされた孚一(ふいち)というひとが、満州から柳井原へ引き揚げてきて、和歌をよく詠んでいるという噂を耳にしたことがある。私は妙な罪悪感から、ついにそのひとに会いにいく勇気がなかったのだが、この春うちへ年賀にきた柳井原出身の若いひともおなじことをいっていた。
 私が「悪魔の手毬唄」を書いたとき、放庵さんのモデルになってもらったのはこのひとであった。多多羅放庵をかくとき、つねに私の念頭にあったのは会ったことも見たこともないこの孚一というひとであった。」

(『幻影城』1976年5月増刊 No.18「横溝正史の世界」 「書かでもの記」P20)

 妻・はまに置き去りにされた孚一(ふたりの男の子もいたという)という方は、「昭和21年頃、満州から柳井原へ引き揚げてきていたそうだが、その後死亡して、そのうちは途絶えてしまった」とのことです。
 彼の姓も、やはり「横溝」です。

 正史の父・宜一郎が捨てた妻(=青池リカ)と子・歌名雄。
 正史の母・はまが捨てた夫が孚一(=多多羅放庵)。


 そういった意味では、この2人は正史にとって、同じ原風景のなかに佇む"共犯者"だったのかも知れません。
 自らの"生"の踏み台として、犠牲になった人々。
 リカと放庵の関係は、この様に抜き差しならぬものであり、彼も又、黄泉の国(=「人喰い沼」)より来る"亡霊"だったのです。
 
 -この作品の其処彼処に、揺曳するイメージ=異界(死)との境界線であり、通路としての"水"。…


さて、前述の放庵によるリカの"あやつり"の構図は、まさしく正史の過去の傑作『獄門島』の、"鬼頭嘉右衛門と実行犯たち"の関係に酷似してしまうように思えます。それを避けるために、終盤に於いてこの点に触れることを避けたのではないか…。
 また、長期の連載執筆の中で、生々しい"自らのルーツ"への肉迫を開始した正史にとって、終盤の山場、探偵小説の醍醐味とも言うべき名探偵の長講釈場面に至り、この設定が不必要(というか、邪魔)になったのではないか。この部分は述べず曖昧にしておいて、敢えて「気付く人だけ気付けばいい」という範疇に収めたのではないか…。
 そうしなければ"青池リカ"の肖像がボヤけ、描くべき焦点がずれてしまう危惧があったのではないでしょうか。

◇そして、磯川警部の一人称の文体で語られる、本作品のエピローグ"ちょっと一貫貸しました"。以下、事件解決後に、金田一耕助の仲介で、大空ゆかりと歌名雄が初めて異母兄弟として対面した時の、ゆかりの歌名雄への台詞を引用します。

 「兄さん、あえてあたしは兄さんと呼ばせてもらいます。
兄さんもご存知の通り、あたしはものごころついたじぶんから、詐欺師で殺人犯人の娘として、ずいぶん肩身のせまい思いをしてきたのですよ。
 そのあいだになんべん死のうかと思ったことがあるかしれないくらいです。
 しかし、あたしは死にませんでした。歯をくいしばって世間の迫害に耐えてきたのです。兄さん、女のあたしでさえその辛抱ができたのですから、ましてや立派な男子である兄さんにその辛抱ができないはずはありません。強くなってください。あくまでも強く生きていってください」


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 「書かでもの記」によればその後、現実の「歌名雄」さんは亡くなったとあり、その原因について、正史は「語ることを避けたい」と記述するのみで、この作品執筆時点(昭和32年~34年)に、まだ生きていらっしゃったのか、さだかではありませんでした。
 その後、『横溝正史読本』の新装版(小林信彦・編 角川文庫)に掲載された年譜(島崎博・作製/浜田知明・訂補)にこうありました。
 
 大正10年(1921年)、正史19歳の年の9月27日、「長兄・歌名雄は脚気衝心のため死亡。」

 この36年後に執筆された『悪魔の手毬唄』。
 正史の物語作家としての「裏」に、氏の生々しい肉声を感じるのはぼくだけではないでしょう。

 そう考えてみると、この作品の有名なラストシーンも、別の意味を帯びてきます。
磯川警部と金田一耕助が事件後、三週間ほど京阪ならびに大和、奈良に遊んだ後、京都駅頭(東宝映画版では総社駅)で別れます。以下、引用です。

 "(磯川)「金田一先生、わたしはこのとおりの老骨ですが、まだまだ余生をながらえて、またいつか先生とお仕事をいっしょにさせていただきたいと思いますが、こんどのようなのはまっぴらですね。このように悲惨な思いがあとあとまでながく尾をひくような事件は」
 金田一耕助氏はだまってわたしの眼のなかを覗きこんでいたが、卒然としてわたしの耳に口をよせてささやいたのである。
 「失礼しました。警部さん、あなたはリカを愛していられたのですね」
あっ!と、口のうちで叫んでわたしがたじろいだとき、金田一耕助氏はすでに動きだした車中のひとだったのである。"


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 -磯川警部が人生の一番充実した、青年から壮年期にかけての貴重な期間、20数年に渡りかかわって来た事件の終結と、その犯人であった青池リカへの素朴な恋心を示唆することにより、この長く陰惨な物語は、奇跡的にほのかな叙情を漂わせながら締め括られます。
 この、磯川警部の"恋情"の暴露は、単にさわやかに物語を終結させる"ドラマツルギーの道具"ではないとぼくは考えます。
 夫にさえ愛されず捨てられ、縊れて亡くなった「歌名雄の母」=青池リカと仮定すれば、あえて"本当に「歌名雄の母」を愛した男性"=磯川警部を配し、物語を貫く"陰の主旋律"としたこと。
 …そこに彼女への、正史の"祈り"にも似た心情を感じます。

 …なんて、延々と勝手な想像で話を進めてしまいました。今まで書いたことは、すべてぼくの憶測です。
 でも、お許し願えるかと思っています。
 だって、ほら、金田一耕助ですら、"憶測"しかできなかったのですから。







参考文献:
『悪魔の手毬唄』横溝正史(旧・角川文庫版)
『幻影城』1976年5月増刊 No.18「横溝正史の世界」
『横溝正史読本』新装版(小林信彦・編 角川文庫)
『黄色い部屋はいかに改装されたか?』都筑道夫(晶文社)
     
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この記事へのコメント

  • ハヤシ

    私も「書かでもの記」を読んではいたのですが、歌名雄の名の同一には迂闊にも気づきませんでした。横溝正史は『悪魔の寵児』でも導入部で新青年の同僚のエピソードを拝借するなど、身近なところに材料を借りる人ですが、まさに探偵小説の鬼の業の深さを感じざるをえません。横溝作品中、『手毬唄』の結末が突出して哀切なのも納得が行きます。いつもながら、めとろん様の読みの深さと慧眼に脱帽です。そして磯川警部の心境を見事に表現した市川版の若山富三郎の演伎は今更ながら素晴らしかったと思います。
    2016年03月17日 17:55
  • sugata

    見事な"憶測"ですね。正史の兄弟・歌名雄の件からの流れにはグッときました。
    ミステリとしての素晴らしさは別にして、磯川警部の恋愛ものという点で、実はこれまで『悪魔の手毬唄』には微妙に違和感をもっていたのですが、こういう観点で本作を眺めると、非常に胸に落ちるものがあります。
    おかげで、あらためて『悪魔の手毬唄』が好きになりました。ありがとうございます。
    2016年03月19日 05:29
  • めとろん

    ハヤシ様、コメントありがとうございます! 思いつきの妄想文に、真心の激励感謝ですm(_ _)m ほぼ10年ぶりの改訂で、少しは読みやすくなりましたでしょうか^^;
    映画版の若山富三郎さんの磯川警部、何とも哀愁があって私も大好きです♪
    また、コメントお待ちしております。
    2016年03月19日 14:41
  • めとろん

    sugata 様、コメントありがとうございます!そうですね、『悪魔の手毬唄』は、終盤が金田一耕助の臆測で終わる点など、少々不可解さを感じる長編ですよね。登場するキャラクターたちと作者が密接に寄り添ううちに、人間ドラマの側面に深く絡め取られていったようにも思えます。それは、単に欠点ではなく、異様な迫力を生みだしているとも感じます。いろいろ考えさせられますね。
    コメントを戴き、本当に感謝です。これからも、よろしくお願い致します。
    2016年03月19日 14:47

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