
~労働争議と、前時代的ヒーロー~
皆様こんにちは。
めとろんです。
今回は、2001年5月、懐かしき映画館・新宿昭和館にて鑑賞した渡辺邦男監督、高倉健主演『悪魔の手毬唄』('61)をご紹介します!
Story
(モノクロ)タイトルバック~夜トンネルを進むタクシー。
乗るは芸名・和泉須磨子=仁礼宮子(不忍郷子)。東京で人気歌手になり、鬼首町に錦を飾りに帰る途上である。カーラジオからは、彼女の新曲「鬼首村手毬唄」が流れる。
すると、丸太が山道を塞いでいた。ボヤキながらどかそうとする運転手。その時礼子の背後に影が…!続いて運転手も殺される。

その後、白いスポーツカーで、颯爽と走る名探偵・金田一耕助(高倉健)が登場。
仁礼家には以前から脅迫状が届いており、殺された宮子が金田一に捜査を依頼していたのだった。
金田一が鬼首村の「亀の湯」に投宿すると、そこにはいつも部屋で大声をあげ浪曲を歌う老人のほか、放庵(花沢徳衛)、宮子の妹・里子(志村妙子=太地喜和子)の、大学の学友である青年・遠藤和雄(小野透)がいた。彼は里子を慕い、鬼首村に会いにきていたのである。

実は仁礼家には、かつての地元の大地主・青池家が火事になった際、実印を偽造して青池家から土地をだまし取り、現在の地位を築いたという過去があった。その事実を知る仁礼家の下男・辰蔵(中村是好)は18年ぶりに村に現れ、当主・剛造(永田靖)を責めていた。
何者かが、怨みを晴らそうというのか…。しかし、青池家の焼け跡から、遺体はちゃんと出て、その後、人は絶えたはずであった。
厳戒体制の中で、猟銃を抱えて寝ていた仁礼の長男・源一郎(里子の兄)が、銃声と共に血まみれで発見される。しかし亀の湯の客を含め、全員にアリバイがあった。
磯川警部(神田隆)は、当主は山狩りを村人に命じ、寒村は騒然となる。

再び現場に現れる金田一耕助に、仁礼の側近・栗林がやたら「帰れ!」と迫る。その場は立ち去る彼だったが、去り際、無言で磯川に名刺を渡した。
見ると『自殺に見せかけた他殺』の文字が名刺に。
調べれば、源一郎は銃ではなく、毒殺されたことが判明する。
金田一「君はこれから僕の助手だ!」
遠藤和雄「これから素敵な冒険が始まりそうですね!」

仁礼里子、遠藤と金田一耕助がスポーツカーで走っていると、道にガソリンオイルがまかれ、あわやスリップし、底無し沼に落ちそうになる。
誰かが、彼らを狙っているのだ。

温泉に一緒に浸かりながら意見交換する、金田一と磯川警部。
そして納屋へ行った金田一は、辰蔵に詰め寄る。辰蔵は共犯か、少なくとも犯人を目撃しているはずであった。彼は、過去に紛失した青池家の実印を偶然、納屋のオイル缶の底に発見するが、酒瓶に入れられた毒で、金田一の前で無惨にも殺害されてしまう。
温泉に一緒に入りながら意見交換する、金田一と磯川警部。
そして納屋へ行った金田一は、辰蔵に詰め寄る。辰蔵は共犯か、少なくとも犯人を目撃しているはずであった。彼は、過去に紛失した青池家の実印を偶然、納屋のオイル缶の底に発見するが、酒瓶に入れられた毒で、金田一の前で無惨にも殺害されてしまう。

(ネタバレ反転・映画の結末を記しています、要注意!)
金田一耕助の推理で、警察は亀の湯の客・浪曲好きの老人の投宿部屋へ踏み込む。
そこには浪曲をずっと歌っていると見せかけたテープレコーダーが発見される。この老人こそが、復讐を誓った青池氏であった。
納屋で相対する青池氏と仁礼当主・剛造。発砲する青池氏、止める金田一。
そこで辰蔵の酒に毒を盛ったのは、暗い過去の発覚を恐れた剛造であることが判明し、逮捕される。彼が捕まるのを見ると、満足した青池氏は自ら毒をあおり、満足気に死んでいくのであった。
【 Staff&Cast 】


◆本作品の監督は、『明治天皇と日露大戦争』('57)の大ヒットで「渡辺天皇」の異名を取った渡辺邦男氏(1899-1981)です。サイレント時代劇『剣乱の森』('28)で監督デビューし、「安く、速く、儲かる映画」をモットーに早撮り監督として名を馳せました。
故・石井輝男監督は新東宝時代、まず渡辺監督の助監督からスタートしたといいます。
いわゆる「中抜き」も、渡辺組で教わったという氏は、当時の渡辺監督について、『完本 石井輝男映画魂』の中で、以下のように語っています。
「当時、渡辺さん、自分で編集もやりましたからね。ものすごく速いんですよ、編集も。ムビオラで、パチパチパチッとみんなかけるんですけど、先生はフィルム見てて「ああ」と切っちゃってヒューッとよこすわけです。助監督が立っててつなぐわけです。(中略)それをつなぐとね、とってもうまく行ってるんですね。」
「先生(筆者註・渡辺監督)ね、もうちょっとまともな映画をお撮りになったらどうですかみたいなことを言っちゃったんですね。(中略)先生がね、あおすじ立てて「おれがそれじゃ何百本撮れて、次々仕事やってるのはどういうわけだ」ってどなりまくり怒ってるわけですよ。もう、まいりましたね、あのときは。どうだ、どうだ、どうだって有無を言わせず来るわけでね。で、嘘じゃないんですけど、「いや、それは、先生の映画は、モラルをきちっと守ってるってことだと思います」と。そしたらとたんにね、ニッコリ笑っちゃってね、「そうだ、それだ」って(笑)」
(『完本 石井輝男映画魂』石井輝男・福間健二 ワイズ出版)

渡辺監督は、この『悪魔の手毬唄』以前に、片岡千恵蔵がスーツ姿で金田一耕助を演じた横溝正史原作『三本指の男』('47)に始まるシリーズの第五作『犬神家の謎・悪魔は踊る』('54)を、既に監督していました。
ですので、前作『三つ首塔』('56)から早5年が経過していたとは言え、フォーマット(特に、オリジナルキャラクターである耕助の助手・白木静子の存在)を踏襲したのも、自然な流れだったのでしょう。
脚本を担当したのは監督自身と、東映時代劇といえばこの人、『柳生武芸帖』シリーズや、僕にとっては何よりTVドラマ『新選組血風録』('65)の結束信二氏(1928-1987)です。
結束氏はその後、本作品について以下のように語っています。
「確かこれは誰かが一度書いたシナリオが渡辺邦男監督の気に入らなくて、急遽、ぼくが東京に呼ばれて、急いで新たにシナリオを書かされた記憶があります。で、考えてみれば失礼な話ですが、もう時効だと思いますので正直に書きますと、ぼくは横溝さんの原作を読まないで、いわばオリジナル・シナリオ『悪魔の手毬唄』を書いてしまったわけです。」
(『野生時代』'76年11月号)
この事実は、半ば伝説と化している逸話として有名です。
確かに原作の影も形もないこの作品を鑑賞すれば、そんな疑惑も浮かんだりするものですが、まさか脚本家が、本当に原作を読まずにシナリオを執筆したとは驚きでした。
しかし、普通に考えて、監督自身が原作を読んでいないはずもないのですが、結束氏への注文は、「警察のことを悪く書かないように」という条件だけでした。
また、僕自身は未読ですが、さる筋からの情報によれば、本作品の準備稿(おそらく「誰かが一度書いたシナリオ」にあたる)は、ほぼ原作に沿った内容だったそうです。
この経緯を読めば、正直、製作陣に原作への思い入れや愛情は、全く感じることは出来ません。いや、監督が結束氏のシナリオにOKを出したことから鑑みて、原作そのままの世界観に忠実な映像化は、望むところではなかった、というのがこの結果に至った原因なのでしょう。

◆名探偵・金田一耕助を演じるのは、高倉健さん。この頃は、1955年に東映に入社後、さまざまな役柄を演じながら、その方向性を模索していた時期にあたります。その後、『昭和残侠伝』シリーズ等の任侠路線、そして'65年から、石井輝男監督と組んだ「番外地」シリーズで大ヒットを飛ばしてその地位を確立、日本を代表する俳優の一人として、大スターの途を歩むことになります。
映画独自のシリーズ・キャラクター、助手の白木静子役に、'60年代に東映のシリーズ時代劇やB級アクション映画で活躍した北原しげみさん。
遠藤和雄役に、故・美空ひばりの実弟、『台風息子』シリーズに主演したニュー東映の申し子とも言うべき小野透さん(かとう哲也)。1983年に、42歳という若さで亡くなるまでの波瀾万丈の人生は、やんちゃで初々しい本作での姿からは、全く想像出来ません。
また、ヒロインである仁礼里子役に、志村妙子=後の、太地喜和子さん。これまた、数十年後に、同じ横溝正史原作の『獄門島』で、妖艶な分鬼頭の巴さんを演じることになるとは、露程も想像出来ない純情可憐さでした。

また、『警視庁物語』シリーズの神田隆さんが磯川警部役を演じ、ほか黒澤明監督『野良犬』等の永田靖さん、『月光仮面』シリーズの大村文武さん、後の『マグマ大使』、『プレイガール』の八代万智子さんが出演しました。
【 新宿昭和館 】

◆短命に終わった「ニュー東映」の残滓とも言うべき本作品を、僕は、今は無き新宿昭和館にて、同じく高倉健主演の『いれずみ突撃隊』(あともう1本は鑑賞せず)と併映されているのを鑑賞しました。
噂に聞く通り、上映中に観客同士の諍いが起こり、怒号の応酬が鳴り響いたのも、懐かしい思い出です。(笑)
昭和7年に開館、戦争により一旦閉館取り壊しになるも、昭和26年に新建屋が完成し上映再開。その後、紆余曲折を経て、当時は東映任侠映画専門の映画館としてその名を轟かせていましたが、老朽化のため、2002年4月に惜しまれつつ閉館しました。
その佇まいといい、ポスターといい、本当に「昭和」の歴史を感じさせる、風情のある映画館でした。こういった存在が消えた街は、いくら綺麗だとしても、寂しく感じます。
【 前時代的ヒーロー、金田一耕助 】
◆さて、若き日の高倉健さんが金田一耕助役を演じたということで、これまた懐かしき「ぴあ」で情報を得て、嬉々として映画館に足を運んだ僕でしたが、そこで展開される内容に、呆気に取られ愕然としたことを、今でも鮮明に憶えています。
とにかく、全く原作とは関係のない物語が、延々と進んでいくのです。
亀の湯の客を調べにきた磯川警部(神田隆)は、いきなり温泉で金田一の背後に現れ、湯船に浸かる。そんな場合じゃないのでは(笑)と感じたのは僕だけではないでしょう。
「鬼首村手毬歌」は、土地に残る古い唄で、ある人物(犯人)がアイドル歌手・和泉須磨子=仁礼宮子(不忍郷子)にその存在を教え、新曲として発表した設定に変更されています。また、この唄は、没落した青池氏の妻と3人の子どもが、底無し沼で服毒自殺した際に歌っていた曲だったのです。この恨みの象徴として、仁礼剛造にとっては「脅迫」として響くのでした。驚くべきことに、そこには"見立て殺人"など露ほども存在しないのです。
(ネタバレ反転、本作品のメイン・トリックを明かしています。要注意!)
また、ほとんど手がかりもないまま、警察は耕助の指摘で亀の湯の浪曲好きの老人の部屋へ踏み込むのです。

そのメイン・トリックは、テープレコーダーという当時のハイテク機器の使用に少々の新味を加えたとは言え、まさにヴァン・ダイン原作『カナリア殺人事件』と全く同じアリバイ・トリックでした。しかし問題は、この解明に至る伏線が、全く描かれていないという、ミステリ的なセンスの欠如でしょう。
渡辺監督の、それなりに全体を無難にまとめる手腕は、流石という以外にありませんが、原作とは完全に独立したオリジナル作品として捉えたとしても、余りに印象の薄い事件および登場人物たちに、惜しいという気持ちを拭えませんでした。
◆因習深い村に颯爽と現れる、スポーツカーに洋装の金田一耕助(高倉健)は、「近代」の象徴的ヒーローという、戦後間もない過去作での位置付けを、あたかも踏襲したように登場します。
しかし、その内実はまったく異質なものに変容していました。
彼は、「名探偵」として、警察内でもかなり有名らしく、犯行現場に無断で踏み込んでいき、名乗れば刑事たちは皆、低姿勢になります。そして、驚くべきことに"警視庁嘱託"という設定を付与され、実質的に捜査陣のリーダーとして、大活躍していくのです。
僕は、この映画における金田一耕助の存在が、時代劇「大岡越前」や、貴種流離譚の一種としての「遠山の金さん」と、一脈通ずるものに感じられます。
つまりは、野に放たれた特別な存在、"お殿様"、"お奉行様"であり、登場する警察官たちは皆、"同心"であり"岡っ引き"なのです。
そして、渡辺監督の「おれは明治の男だから、くれぐれも言っておくが、警察のことはドラマの中で、悪くは書かないでくれ」(「野生時代」'76年11月号)という結束氏への注文も鑑みるに、その全てをひっくるめてまさに「お上」という位置付けが強く感じられます。青池家・仁礼家当主の喧嘩両成敗に加え、ラストで和雄&里子が、「その土地一切を社会福祉に寄付」します、との宣言は、「その土地一切をお上に献上」します、と聞き紛う"大岡裁き"ぶりなのです。
それは、西洋のシャーロック・ホームズをお手本に創造された岡本綺堂の「半七」物に端を発する"捕物帳"とも異質な、多分に戦前の、封建的国家の官憲の在り様に、ひどく近く感じられるのです。
監督や脚本担当の結束氏たちが数多く手がけた時代劇作りの感覚が、自然に流れこんでしまったのかもしれません。
しかし、多くの時代劇の脚本も執筆した比佐芳武氏は、片岡金田一シリーズ初期の『三本指の男』(47)や『獄門島 総集編』(49)等の脚本を担当しており、それと相前後した『多羅尾伴内』シリーズ、『にっぽんGメン』等での(当時としては)ミステリ的趣向に富んだ内容に驚かされますが、名探偵及び警察官の描き方に関しても、(片岡千恵蔵ほか役者たちの演技は時代劇調であっても)民主主義的と言いますか、一種アメリカナイズされた洗練を感じさせます。
先達と比べても、本作の金田一耕助における、その「前時代(保守)的ヒーロー」像には、時代が逆戻りしたかのような、古色蒼然とした印象が否めないのです。
【 リアリズム推理小説の台頭 】
◆原作者である横溝正史氏は、かつてこの映画について、
「『悪魔の手毬唄』は原作を渡してから映画ができるまで、かなり時間がかかっています。二、三年、間があったんじゃないかしら。もうやらないのかなあ、と思っていたら、やっととりかかった。」
(『野生時代』'76年11月号)
と話され、その原因として松本清張氏に代表される「リアリズム推理小説」の台頭、を挙げていらっしゃいます。ここで、当時の状況を改めて振り返ってみたいと思います。
☆原作『悪魔の手毬唄』
「宝石」に、昭和32年(1957)8月号より昭和34年(1959)1月号まで連載
昭和34年(1959)1月15日 単行本発売
★『点と線』 「旅」昭和32年(1957)2月号より昭和33年(1958)1月号まで連載、同2月に光文社から単行本が発売。
また、映画『点と線』昭和33年(1958)11月11日公開
★映画『ゼロの焦点』 昭和36年(1961)3月19日公開
★映画『黒い画集 ある遭難』 同年6月17日公開
★映画『黄色い風土』 同年9月23日公開
★映画『黒い画集第二話 寒流』 同年11月12日公開
☆本作品 映画『悪魔の手毬唄』 同年11月15日公開
原作『悪魔の手毬唄』が「宝石」にて連載中であり、当時の読者がその第六回付近(被害者である仁礼泰子が、枡と漏斗をともなって発見される)を読んだ頃、松本清張『点と線』は完結し、単行本として世に出たのです。
その単行本は空前の売れ行きとなり、'60年に発行されたカッパ・ノベルズ版は100万部を突破し、その破竹の勢いは止まることを知りませんでした。そして、『悪魔の手毬唄』と同年の、怒涛の映画化攻勢も、清張ブームの真っただ中であったことを示しています。
確かに、正史の感じていた世の空気感、「お化け屋敷」と揶揄された、古き良き探偵小説の時代からの隔世の感は、強くならざるを得ない状況だったと思われます。

【 「悪魔の労働歌」 】
◆この映画公開の前年5月、新日米安全保障条約が強行採決、6月に自然成立。
10月には稲沼日本社会党委員長が刺殺、年明けて'61年1月にはケネディ大統領就任。
東西冷戦は激化の一途を辿り、'62年には「キューバ危機」が勃発します。
そんな政治の季節の真っただ中で、旧弊な地方の寒村を舞台にした、古き童謡に模した、おどろおどろしい連続殺人を描く。浮かびあがるのは主に、企業や社会問題ではなく、「個」の業と怨念。世の流行の真逆を行く原作に、ヒット作を連発した渡辺邦男監督が難色を示したのも、分かるような気もします。
共同脚本の結束氏は原作を読まなかったとは言え、その登場人物の名前を幾つか使用し、「底無し沼」「亀の湯(温泉宿)」「(八つ墓村的)老婆の不吉なお告げ」「山狩り」「手毬唄(歌謡曲に変更)」「村の二大勢力の対立」等のキーワードを、物語に散りばめています。
◆そして、「二大勢力の対立」の要素を抽出して拡大したのが、この物語とも言えるわけですが、その中軸を成す「旧勢力・青池家」を乗っ取る「新勢力・仁礼家」の対立の構図に、渡辺邦男監督が反共/反組合のリーダー格の一人として関わった東宝争議を連想するのも、あながち的外れではないように思えます。
警視庁、警視庁予備隊のみならず、米軍の戦車や戦闘機までが介入(第3次争議)し、「来なかったのは軍艦だけ」と言わしめた東宝争議は、会社側と東宝従業員組合(従組)との間で、1946年〜50年にかけて苛烈な盛り上がりをみせました。

'46年の第一次・第二次争議の後、大河内伝次郎以下、東宝の十大スター(十人の旗の会)、渡辺邦男監督も組合を脱退。'47年3月、彼らを中心とした「新東宝」が設立されました。
その中で、第3次争議では社長から派遣され、愚連隊の首領・万年東一に映画館のスト破りを依頼するなど、反組合の活動に深く関わったのが渡辺監督だったのです。
そして、東映、再び新東宝、そして'58年以降はフリーとして東映、大映、松竹と数多くの作品を撮っていきました。
『悪魔の手毬唄』は、その頃の作品となります。
青池家=土地を奪われ、放逐された復讐を誓う「旧勢力」=反組合勢力側=保守派
仁礼家=汚い手を使い、土地や財産を奪う「新勢力」=従組側=革新派
昭和31年、32年と邦画界のシェアで東映は首位に立ち、独走態勢となっていました。
気を良くした大川博社長が、シェア50%を目指し昭和35年('60年)、打ち出したのが第二東映(後のニュー東映)の発足でした。お家芸である時代劇を中心とする京都撮影所を第一、現代劇を中心とする東京撮影所を第二の二系統に分け、時代劇+現代劇の二枚看板にする目的でした。前代未聞の一社二系統全プロ二本立て興行は、出だしこそ良かったものの、年間156本製作の量産体制に、現場はみるみる疲弊し、片岡千恵蔵をはじめとする大スターたち、そして照明部を皮切りに激しい反対運動が展開していったのです。
この年、東宝争議で生まれた「新東宝」は倒産。
テレビの普及による映画離れは予想以上に加速度を増し、2月には「ニュー東映」と改称、現代劇専門に縮小し、11月には遂に、東映とニュー東映の配給系統は一本化されます。
しかし、過酷な勤務体制を強いられた撮影現場の不満は鬱積し、特に京都では反大川派が尖鋭化し、組合によるストライキが決行されました。
(『悔いなきわが映画人生〜東映と、共に歩んだ50年』岡田茂/財界研究所)
このように、内も外も、相も変わらず労使の争いが激しく続いていたのです。
さて物語に話を戻しますと、新世代である遠藤和雄と仁礼里子のカップル2人は、神戸の大学で"社会運動"に勤しんでいる設定となっていますので、おそらくは「全学連」を想定した存在(下段)であることは間違いないようです。
1899年(明治32年)生まれの監督は、戦後の横溝作品で対比される"旧世代"であり、そう考えれば上段側の「復讐」に対して、多分に同情的で共感している結末も、その本音を本作品に忍びこませたとすれば、合点がいくというものです。また、金田一耕助と警察官たちの存在が、当時、デモを阻止せんと警棒を振るった機動隊と二重写しにもなるのでした。
昭和36年、横溝正史の戦後代表作がひしめく昭和20年代における「新しい日本」から、既にもうひと世代先へと、時代はすでに移っていました。
渡辺邦男版『悪魔の手毬唄』とは…、
「古い日本」が、「新しい日本」に復讐し、反省を迫る。
それを、至上の存在である"お上"が、喧嘩両成敗で、みごとに治める。
ーそして、新たな世代も…"お上"に帰属を誓う。
自他共に認める"右派"渡辺邦男監督による戦後社会の、ささやかな希望を込めた"総括"であり、メッセージであると捉えるべきか。
「鬼首村手毬唄」は、時代の転回の中で滅びゆく"古き良きもの"が放つ、呪詛の調べとして物語の基調となりました。
そういった、まさに「保守」の塊のような作品へと、変容したのです。
一方、横溝正史は昭和35年('60年)11月から、本作品公開直前の翌10月まで、"リアリズム推理小説"に対抗するかのような『白と黒』を「日刊スポーツ」に連載。昭和37年('62年)に還暦を迎え、『青蜥蜴』『蝙蝠男』等を細々と発表した後、ついに一旦、筆を置かれるのです。
そして、更なる新しき時代へ向けて、ここで横溝正史の作品群は、しばしの休息を迎えることになるのでした。
それでは、また!
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色々とツテをあたっているんですが未だに入手出来ず口惜しいです。^^
僕も、最初は12年前の新宿昭和館で、その後、CSで放送されたものを再度観ました。正直、内容的には原作の関連性もかなり薄く、全くおススメ出来ないのですが(笑)やはり一度は観てみたいと思っておりました。
原作は不変でも、脚色には、その時代の変化のようなものが出ますよね。
今回に関しては、その点が興味深いと感じました。
それでは、またのお越しをお待ちしております!
この映画を含め、初期の金田一映画はなかなかDVD化されませんね(『幽霊男』『吸血蛾』は何年か前に出たようですが)。この作品は“early高倉健物”の一つとして売り出したらどうなんだろう、と思った事もあります。それにしても、タイトルと登場人物(他に少々のプロット)だけ拝借して、ここまで違うものを作れるとは。話を聞いた限りではつのだじろう漫画版の方がまだ原作には近いのかなと思いつつも、逆にますます興味を惹かれました。
さて、実は残念なニュースが入ってきました。今週の水曜日(1/8)、KDDIが突然LOVELOGサービスの終了を発表したのです。au one netからの通知(メール)は未だに来ていませんが、編集ページを開くと、上の方にその旨が書かれていると思います。
詳しい事はこちら↓を見て下さい。
http://blogs.dion.ne.jp/blog_admin/archives/11412902.html
それでは、また。
ツイッターにて、HKさん絡みでコメントした者です。
健さんが金田一をしていたのは知りませんでした。
任侠ものは見ていましたし‥
美空ひばりさんらと共演している作品も
以前、日本映画チャンネルでやっていました。
昔の映画は興味深いし、色々な意味で面白いです。
日々の雑事に追われて見れないのが‥悩み?(笑)
この高倉健版『悪魔の手毬唄』、やはり1番の問題は、あまりに…なことで、ソフト化を躊躇するのも分かる気がします。
LOVELOGの閉鎖、残念ですね。今後のことは、模索中です。近々、ブログ内でもアナウンスさせて頂きますので、よろしくお願い致します。
ありがとうございます。また、Twitterフォローさせて頂きました。
最近の映画も良いですけれど、過去のプログラムピクチャー黄金時代の映画には、独特の魅力と安心感がありますね。
LOVELOG閉鎖のため、このブログの今後は分かりませんが(^^;;、またよろしくお願い致します。