
市川崑監督『娘道成寺』('45)
皆様こんにちは。
めとろんです。
僕は市川崑監督がご逝去された2008年2月、追悼の意味で「思いつき『獄門島』考」という記事を上梓しました。
その内容を、若干補足しておきたいと思います。
恐れ入りますが、ぜひ以前の記事を参照されたうえで読んでいただけたら幸いです。
◇前回の記事では、横溝正史の原作、そして市川監督の映画版それぞれに、能楽・歌舞伎の演目として有名な「娘道成寺」が、言うまでもなく、色濃い影を落としていることについてお話しました。
それもそのはず、市川崑監督の実写映画処女作(人形劇ではありますが)は、この『娘道成寺』なのです。市川監督の原点ともいえる作品こそ、20分程度の小品『娘道成寺』でありました―。
今回は、前記事の補遺として、この作品と『獄門島』(映画版)の関連について、少々述べておきたいと思います。
Story
長い長い階段に、桜の花びらが舞い散る。
釣鐘師である安珍は、鋳かけた鐘が割れ、造成が進まず思い悩む。 鐘のない鐘楼とともに、小坊主たちは鐘を待ちわびている。


苦しむ安珍は、観音菩薩に願をかける。彼を慕う清姫が、じっとそれを見つめ…彼女も、一心に祈りを捧げる。


すると、夜空から飛んできた何かが炉に飛び込み、やっとのことで見事に大鐘が完成した。
喜ぶ安珍だったが、観音菩薩で命を捧げ息絶えた清姫を発見し愕然とする。


その頃、鐘楼に吊り下げられた鐘を寺の小坊主が突いたが、まともに音が鳴らない。いぶかしむ、祝いに集まった村人たち、そして和尚。
安珍は思いを込め、鐘を突く。
みごとな音が響き渡り…白拍子となった清姫が現れ、吹雪の如く舞い散る花びらとともに、この世のものとは思われない美しい舞いを舞う。

そして、一抹の寂寥を残し、清姫の姿は消える。
【 MEMO 】
◆市川崑監督は、1915年(大正4年)、三重県の呉服問屋に生まれるも家業が倒産、親戚を渡り歩く幼少時代を過ごしました。18歳でJ・Oスタジオ(京都)に入社し、'36年、短編アニメ『新説カチカチ山』を制作。
その後、劇映画に転向し助監督部に所属、終戦のころ、人形劇『娘道成寺』('45年)を演出しました。
この作品は、GHQから事前に脚本の検閲を通過していないことからお蔵入りとなりました。
そのアップを多用し、高低差を強調した実写的な構図と、陰影の濃いライティング、スピーディーな編集など、後の市川監督の演出作法の萌芽がすでに垣間見える作品となっています。
◇そして特に目を惹くのが、原作からの大胆な脚色です。
僧侶であった安珍を釣鐘師に、そして、妄執から蛇神と化す清姫を「慈悲」の存在へと、設定変更しているのです。
本作品の脚本のクレジットには、その後、市川崑監督作品『鍵』('59)や、大好きな熊井啓監督作品『忍ぶ川』('72)の脚本にも関わった長谷部慶次氏も加わっており、彼の発想であったという可能性もありますが、製作時期やその後の作品群を見ても、監督も含めた、極めて意識的な「改変」でありましょう。
それは、本作品の製作当時、まだ続いていた第二次大戦の「影」。
健康上の理由から辛くも徴兵を逃れた市川監督は、後の『ビルマの竪琴』や『野火』等に顕著な、反戦・平和への希求を、(その真っ只中だからこそ)強く抱いていたのではないでしょうか。
だからこそ、どちらかといえば「盲目的な愛」「嫉妬心」等、人間心理のネガティブな面をテーマにした『道成寺』から、人間の肯定的な側面、「(破壊とは対となる)建設への息吹」「慈悲心」「自己犠牲」そして「純粋な愛」を、物語の主軸へと変更したのではないか―と推測するのでした。
映画としては一番のスペクタクル的な見せ場になるはずの、終盤の大蛇出現(人形劇なら容易だったでしょう)をバッサリとカットした意図も、市川監督なりの、破壊のカタルシスへのアンチテーゼだったと思えるのです。
戦火のなかで描かれたこの映画における「大鐘」は、「Love and Peace(愛と平和)」の象徴なのです。
自らを犠牲にして、再生への祈りを成就した清姫。
自らへの「愛」を受け止め、応えるが如く大鐘を打つ安珍。
こう考えていくと、市川監督が『獄門島』の犯人を勝野に変更したものの、その設定について「道成寺」を踏襲しなかったのは、もちろん製作順の問題(前記事に詳述)もあったのでしょうが、自らの原点である本作品へのこだわりもあったのでは…と、いつもの妄想的発想も含め、想像してみるのでした。
すなわち、市川版『獄門島』における「大鐘の帰還」は、一面、了然と勝野という、事件がなければ秘めた思いを口にすることすらない2人を、(「心中」という形にせよ)永遠に結びつけるのです。
前記事で僕が不遜にも、
嘉右衛門翁以外のキャラクター達に「悪」の要素が欠如しており、犯人も含めて皆が皆、同情すべき哀しき人物たち、という大団円には正直、物足りなさも残ります。
…と書いた側面は、こう考えると『娘道成寺』の市川監督にとって必然であったことが分かります。
たとえ殺人事件を描く作品であっても、根本的に「慈悲と救済」の映画を目指す―このコンセプトこそが、思い入れ深き「道成寺」をモチーフにした『獄門島』を映画化するにあたり、監督が抱いた退くに退けないテーマだったのではないか。そう思えるのです。

◇市川版『獄門島』の冒頭で鋳潰されず戻ってきた大鐘は、殺人事件が解決するまで、遂に吊り下げられることはありませんでした。そして、全編のラストに至り、大原麗子さん(合掌)扮する鬼頭早苗が初めて鐘を突くのです。
それを船上で耳にする金田一耕助。
「愛を伝える回路」としての「鐘」。
「平和と民主主義」の新時代の到来を告げる「鐘」。
このシーンに、自作『娘道成寺』への目配せと共に、デビューから現代へと続く時代の変遷に、(フラッシュバックの如く)思いを馳せた監督の視線を感ずる…と言ったら、飛躍に過ぎるでしょうか。
あらためて、平和へのその思いを、しっかりと受け止めていきたいと思います。
最後に、『病院坂の首縊りの家』('79)に登場する探偵小説作家(横溝正史)の台詞を置いて、この稿の筆を置きたいと思います。
「あったものは壊れていくよ。そのときに、また新しいものが生まれるんだよ」

(完)
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早速に前回の文章と今回のもの拝読させていただきました。
この「娘道成寺」は、自分が大阪南部の出身であり
子供の頃から、見聞きしていました。
ですから、獄門島にこれが出てきた時も
何か懐かしく感じたことを思い出します。
今回の内容には、なるほどと頷きました。
市川監督の戦後への期待と希望が入っていたのですね。
獄門島、また観てみます。
拙い長文をお読みいただき、申し訳ありません。
ちなみに、『獄門島』が宝石に連載されたのは昭和22年1月~翌年10月。『本陣』すら始まっていない頃に、この『娘道成寺』は製作されたのですよね。
また、ぜひいらして下さい。お待ちしております!
非常に興味深くそして、非常に面白く本記事拝読させていただきました。
やはり、市川版にはおどろしさという幻惑の裏に、その真にはさまざまな愛が存在しますよね。
「獄門島」では、そのきっかけとなった揃いすぎた条件、そのうちのひとつである釣り鐘の帰還、それがひとつの愛を永遠のものにするきっかけにもなったんですね。
そして、やはり金田一が市川版では戦争にいっていない設定になっているのは、市川監督の反戦の想いからなんだと改めて痛感します。
ではまた。
やはり、市川監督の横溝映画は、改めて別格だと実感します。
『新青年』の愛読者だったという、生粋の探偵小説ファンとしての知識と、原作といかに切り結ぶかを命がけで模索された、いち創作者としてのスタンスと…その抜き差しならなさの中で生み出された作品群は、唯一無二の珠玉の輝きを永遠に放ち続けています。
「反戦」的立場は、おそらく監督自身はあまり意識することのない、血肉化された当たり前の姿勢だったと思いますので、ことさら強調するのは心苦しいのですが、基本的スタンスとして、やはり押さえておくべき部分ではないかと思います。
また、いらして下さいね。お待ちしております!